「デートってこんな感じかなと思って」①
「こんばんは~。今日もお仕事ご苦労様です。頑張った君も、そうじゃなかった君も、この動画を聴いて癒されてね」
ポケチューバーのは、特注のマイクを使って、毎日決まった曜日に1時間から2時間ほどライブ配信をする。
ジェルクリームで耳のマッサージ。指耳かき、綿棒、梵天、こんにゃくパフ。頭皮のマッサージ。シャンプー、シャワーの洗い流し音……。
出せる音は全部出す。聴いている人たちが癒されるように。眠れるように。
「……ふう」
配信をしっかり切ったことを確認し、は溜め息をついた。1時間半に渡る配信は、それなりに気を遣う。
(今日も皆が眠れますように。ゆっくりとした時間を過ごせますように)
うーんと大きく伸びをして部屋を出る。防音対策をしているが、そろそろ専用のスタジオのようなものがほしい。たかがASMRでと言われそうだが、音に妥協はしたくない。
ASMR専用のスタジオを建てて配信をする。それが、彼女の夢である。
「んー。チルタリス、ありがとう。ふわふわで気持ちいい」
チルタリスの羽毛に顔を埋めた――もとい、は、今日も自身の相棒を労ったり労われたりしていた。
「今日はありがとう、チルタリス。危ないところを助けてくれて感謝しているわ」
「チルッ!」
「おやつを1個あげましょうね。もう夜遅いけど……、今日だけよ。皆には内緒ね」
「チルルッ!」
「しーっ」
シンオウ地方ではポピュラーなお菓子、ポフィンをチルタリスに渡した。デパートで「シンオウ地方物産展」が開催されていたので、物珍しさから購入したのだ。
喜ぶチルタリスを微笑ましい気持ちで眺めていたは、自分も何か飲もうかしらとキッチンに足を向けたところで、
(パーカー、乾いているかしら?)
キバナが貸してくれたパーカーの存在を思い出した。【あまごい】の影響ですっかりシャツを濡らしたに、キバナがパーカーを着せてくれたのだ。
そのまま返してくれて構わないとキバナは言ったが、それではの気が済まない。洗濯してお返しします、と半ば強引に持って帰ってきてしまった。
(なるべく借りを作りたくないから……)
男性は、少し苦手だ。
あの人とは違う。全員が全員、あの人のような振る舞いをするわけではない。それは、理解している。
だが、どうしても、気を許すことができない。
(キバナ様もリョウタさんも、いえ、ナックルジムにいる皆さんはとてもいい人たちなのに、私はどこか、馴染めないでいる)
また同じことを繰り返すのではないかと思って、臆病になっている。
でも、どこか、気の緩みがあったのだろうか。今日の自分は少し変だった。
(……キバナ様に素顔を晒してしまったけれど、私の判断は間違ってないわよね……?)
借りは作りたくない。踏み込んでほしくない。でも、歩み寄りたい。この人たちともう少しだけ関わりたい。本当の自分を、少しだけ見せてもいいかもしれない。矛盾した感情が、の中に渦巻いている。
(男の人は苦手。それは変わらない。だけど、キバナ様やリョウタさん……レナさんもヒトミさんも皆、優しい。あそこのジムは居心地がいいわ)
それは、強いからだろうか。
最強のジムリーダーがいる職場だからだろうか。
(強い人は優しいわ。いえ、優しいから強いのかしら。……私もああなりたいわ)
はキバナに少しだけ、嘘をついた。
「自分のすっぴんがあまり好きではない」と言ったが、実のところは、「近寄りがたい雰囲気を出したかった」のである。別人になりたかったのである。
(なりたい自分は強い人。何事にも負けない強い人)
強くなりたい。守られるだけの自分にはなりたくない。だから、奮い立たせる。己を鼓舞する。にとって、メイクは鎧のようなものだった。
「ちるぅ……」
「ああ、ごめんね。少しボーッとしてたわ」
チルタリスが嘴での服を引っ張っていた。
「もう寝ようかしらね。飲み物はいいか……ああ、違う違う。そうだ。パーカーよ、パーカー」
はチルタリスの頭を撫で、乾燥機が置いてある洗面所へ向かう。
「よかった、もう終わっているわ」
パーカーを取り出し、は安堵の溜め息をついた。これなら明後日の出勤日に返すことができる。
ふと、はパーカーを広げ、自分に当てて鏡を見る。
「キバナ様のパーカーって大きいわね」
パーカーというよりワンピースになっていた。袖も丈も余る。キバナの身長は195センチだ。当然と言えば当然だろう。
「……」
ふと、は今日のことを思い出した。キバナのパーカーを着た時、彼の香りが漂って――まるで抱きしめられているようで、一瞬ドキッとしたことを。
は湧き上がってきた気持ちを消し去るように頭を振った。彼が優しいのは当たり前だ。パーカーを貸してくれたのもそうだ。のシャツが透けていたからだ。
(例えあの場にいたのが私ではなく他の方でも……。そう、ファンの方でも迷わずキバナ様は同じことをするでしょう)
は深呼吸をして自身を落ち着かせると、丁寧に畳んだパーカーをショッパーバッグに入れた。
「これでよし、と……」
これだけで本当にいいのかしら、とは思った。ただパーカーを返すだけでいいのだろうか。
キバナは真っ先に駆けつけてを助けようとしてくれた。のすっぴんを見て「変ではない」と言ってくれた。
――メイクの顔が、オマエの「なりたい自分」なんだろ? それなら、何も、恥じることはないぜ。変という方が変だろ。胸を張れよ。
ナックルジムに出向した当初からわりと淡白な対応をしている自覚はある。それなのに、キバナはを励ましてくれた。勇気の出る言葉をかけてくれた。
(お世話になっている上司でもあるし、日頃の感謝を込めてお礼を用意するのは、おかしくない……、わよ、ね?)
幸い明日は休日である。街へ出て何かお礼の品を買おうと決意する。
「借りを作りたくないだけ! 借りを作りたくないだけよ! そう、特に他意はないわ! 他意はないんだから……!」
と言い訳をしながら、はわしゃわしゃとチルタリスの羽根を撫で回した。
「チル! チルー!」
チルタリスのさえずりに耳を傾けつつ、はなんとか心を落ち着かせるのだった。
***
「困ったわね」
次の日、はシュートシティに赴いていた。キバナへ贈るお礼の品をと考えていたのだが、彼が何を貰って喜ぶのかさっぱり検討もつかない。
ショップが立ち並ぶ大通りを歩き、ああでもないこうでもないと様々な店を彷徨い歩く。
(こんなことなら、キバナ様のインタビューが載っている雑誌、目を通しておけばよかったわね)
マクロコスモス系列の企業から出向してくるまで、はキバナにあまり興味がなかった。応援しているジムリーダーはいるがそこまで入れ込んでいるわけではなく、また、彼女自身もポケモン勝負よりポケモンコンテストの方に興味があった。
これを言うと大抵の人に驚かれる。ダンデさん強いのに? キバナ様カッコいいのに? ポケモン勝負すごいのに? ダイマックスはド迫力で見応えあるのに?
ガラルは他の地方と違いジムチャレンジというものがあり、ポケモンバトルはよりエンターテインメント性が高いものになっている。だから、そういう反応になっても仕方ないのかもしれない。
しかし、どんなに勝負の素晴らしさを説かれても、の考えは変わらない。「私はコンテストが好きです」と胸を張って答える。はホウエン地方のコンテストアイドル・ルチアやシンオウ地方のメリッサのパフォーマンスを見る方が好きなのだった。ポケモン勝負とはまた違ったポケモンの可能性を見るのが楽しいのだ。
(ううん……。今人気のコンテストアイドルの好物ならすぐに思い出せるのに)
そんなことを思いつつ、は陳列棚をしかめっ面で眺めていた。
「貰っても面倒ではない物。消え物がいいのかしら? でもキバナ様の好みが分からないわね」
(ええと確か……。友人から押し付けられて義理で読んだ一問一答のコーナーで、キバナ様は好きな物について答えていたような……)
朧げになった記憶を手繰り寄せ、ポケモンの【にらみつける】にも負けない眼差しを向けていただったが――。
「あー。?」
「はい?」
残念ながらは友人が少ない。家族や親しい友人は皆ガラル以外の地方にいるので、こうして声をかけてくる人物は限られている。職場の人間くらいのものだ。
まさか、と声のした方を向けば、
「奇遇、だな?」
片手を挙げて微かに笑う、キバナ(オフの姿)が立っていたのだった。