「戻ってきてほしいんだ」②


 キバナがを知ったのは、ガラルのチャンピオンがユウリに交代した数ヶ月後のこと。とある炎上騒ぎがきっかけだった。


 ガラルを揺るがすブラックナイト事件が終わり、ダンデがチャンピオンからタワーオーナーになった頃。とあるSNSに火種が投げ込まれた。

【ブラックナイト事件の原因になったポケモンってナックルジムにいたんだろ? キバナは何やってたんだよ 毎日あのジムにいたくせにローズの思惑に何ひとつ気付かなかったのかよ】

 その書き込みに、あらゆる人々が反応した。

【そんな言い方なくない? あの事件をキバナ様のせいにしないでくれる?】
【ローズが起こしたことをキバナになすりつけるな】
【キバナ信者の擁護ウザ 必死かよ】
【はあ? 信者とか決めつけやめてください】
【言いたいことは分かる】
【俺もそう思った】

【キバナを擁護する気はないがローズさんに一番近かったのはダンデさんだろ? どっちかというとダンデさんにも責任ない?】
【そこでダンデ?】
【ダンデは責任果たしただろ 決勝戦投げて即現場に行ったじゃん】
【キバナは何してたの】
【ナックルシティの住人たちの避難誘導をしていましたよ】
【近辺でダイマックスしていたポケモン相手に戦闘もしていたよ】
【ムゲンダイナの件、元チャンピオンに丸投げしたん?】
【責めてどうするんだよ じゃあお前あの場で落ち着いて指示出してられんの】
【論点ズレてる】
【どこが】

 あのブラックナイト事件はキバナが何もしなかったせいで起こったのではないか。
 早めに対処していれば、あの大事件は防げたのではないか。

 そんな意見が、世界中の人々の目に触れるSNSに書き込まれてしまった。

 もちろん、あの事件はキバナのせいではない。全てはローズ前委員長が起こしたものだ。ガラルが1000年続くため、ムゲンダイナというポケモンを利用したとある計画だ。

 過ぎてしまった「もしも」や「たられば」でしかない書き込みに賛否両論、様々な意見が集まってしまった。

 小さな火種はあらゆるコメントを燃料にして激しく燃え盛った。

 そう、炎上だ。

 もともとキバナはジムリーダーの中では目立つ存在だ。長年ダンデのライバルとしてガラルの人々を沸かせていた。ファンが大勢いる有名人にはアンチも多い。彼らは常に「叩いてもいい」大義名分を探している。ここぞとばかりにアンチも群がってキバナを叩き始めた。

【チャンピオンになれなかった男】
【子どもに負けた】
【自撮りしてる場合か】
【ジムリーダーやる意味ある?】

 どこもかしこも燃えていく。あらゆるものを燃やしていく。灰も残さぬほどに。

【もう終わったことだろ。ほじくり返すなよ……】
【また知らんところでキバナ炎上じゃん ダイソウゲン不可避】
【炎上したからダイソウゲンも焼け野原】
【ん?】
【炎上案件なの】
【誰かキバナのSNSに凸ったらしい】
【マジいつも燃えてんな】
【今回の件はキバナ悪くない】

 実際、キバナの公式SNSのコメント欄にこのやりとりのURLが貼られ、そこから更に燃え上がった。経緯をまとめられ、ニュースサイトの記事にまでなってしまった。

 ダンデに負けた日は厳しいコメントが増えることはあった。たまに炎上することもあったがすぐに収まった。だが、ここまで大規模に炎上したのは、初めてのことだった。

 キバナはすぐさまあらゆるアカウントのコメント欄を閉じた。ナックルジムにかかってくる電話が多くなり、そちらに人員を割くことになった。マスコミも騒がしくなったので、そちらの対応にも追われた。オフシーズンであることが救いだった。耐え忍ぶ日々が続いた。ジムトレーナーたちナックルジムの関係者にあらゆる迷惑をかけた。

 炎上からおよそ2ヶ月後。ダンデや他のジムリーダーたちの協力もあって事態は徐々に収束していった。

「確かにさ、そんな意見も出てくるだろうさ。オマエが一番異変に気付ける場所にいたのに、ガラルに危機をもたらした。ある意味オマエのせいだろって」

 キバナはダンデとのテレビ通話でこんなことを話した。

「先代のジムリーダーからこのナックルジムを引き継いだ時、『地下プラントはローズ委員長、つまりポケモンリーグの管轄だから口出しはするなよ』と言われていた。ガラルのあらゆるエネルギーはここで賄っているわけだ。オレだって昔からその恩恵に預かっていたわけで、まあ、ハナから疑わなかったんだ。だって相手はあのローズ委員長だったから」

 考える余地すら与えれていなかった、とういうべきか。ローズ委員長のカリスマ、実績、人柄でキバナは地下プラントに何があるのかすら知らなかった。知ろうとも思わなかった。先代の言葉とローズ委員長を信頼していたからだ。

「今回の件で学んだ。引き継ぎの時、オレさま自身の目で確かめるべきだった。ジムリーダーはトレーナーの実力を見極めればいいだけか? 違う。この街の人間の代表として果たすべきものがある」
『――それを言うならオレだってキミと同罪だ。オレはかねてからローズさんの計画を知っていた。オレがムゲンダイナを捕まえる手筈だったんだ』

 一旦言葉を切ったあと、ダンデはきっぱりと言った。

『全ては、1000年先も続くガラルの未来のため』

 その言葉を信じていた。ダンデも、キバナも。

『疑問に思うこともなかった。全部ローズさんに任せていれば明るい未来がずっと続いていくと思い込んでいた』
「ああ。……でもなあ、オレたち大人が憂いて今からあれこれ手を尽くさなくても、その未来の人間たちが何とかしてくれるって、分かっちまったからな」
『そうだな……。ユウリやホップ、ビートくんやマリィくん。新しい時代がやって来た。彼女たちの時代だ。オレが表舞台で一から十まで道を示さなくとも、彼女たちは未来を切り開いていってくれる。チャンピオンを降りてから、それをひしひしと感じているよ』

 屈託のない笑顔。ダンデの言葉は本心だとすぐに分かった。

(オマエはどうして)

 ――どうしてすぐに切り替えられるんだよ。

 キバナは喉まで出かかった「ど」を慌てて押し込めた。嫌いな食べ物を咀嚼せず丸飲みするように。

(オレさまだけが取り残されているってやつか)

 10年追い続けてきた。頂点に立つダンデを。
 彼のライバルはキバナだった。自分が勝つのだと思っていた。
 ダンデはずっとチャンピオン(超える壁 )だと思っていた。

 しかし、チャンピオンになったのは、ユウリだった。

『どうした、キバナ』

 テレビ電話でも分かるくらい、顔に出ていたらしい。

「いいや。火消しに付き合わせて悪かったな。この借りは返す」
『ははは。あれはとばっちりだ。オレが炎上していた可能性もある。あまり気にするな。キミとオレの仲だろ』
「オレさまとオマエの――何の仲?」
『今も昔も、キバナはオレのライバルじゃないか』

 予想外の言葉にキバナは面食らう。よく恥ずかしげもなく青臭い台詞を吐けるものだ。そして、己の単純さにも呆れてしまった。少しだけ心が軽くなっている。キバナは大袈裟に溜め息をつき「チャンピオンになる奴って素直じゃないとなれないのか?」と、しかつめらしい態度を取った。

『ん、キバナはそう思っていないのか』
「当たり前のことを言わせるな」
『良かった。キミとまた熱いポケモン勝負がしたい。すぐにでも』
「あー、ハイハイ」
『だが、キミのコンディションは万全じゃないみたいだな』

 キバナはギクリと身をすくめた。この観察眼は厄介以外の何物でもない。ダンデは自身の目の下辺りを軽く叩く。

『クマがあるぜ。睡眠不足か?』
「最近忙しかったんでね」
『じゃあ、これからは解消されるな。ポケモンとトレーナー。両者が万全の状態で臨みたいぜ、オレは』
「オレさまも同じだよ」

 キバナは何てことない風を装って通話を終えた。

 炎上騒ぎは彼に大きな負担をかけていた。

 眠れなくなっていたのだ。


***


 浅い眠りを繰り返している。いや、寝たふり(・・・・)をしている。

 睡眠が脳の疲労を回復させる行為ならば、自分のこれは、ただ瞼を閉じただけ。暗い部屋の中で、ポケモンたちの寝息を聴きながら、じっと、息を潜めるだけの行為だ。

 SNSを眺める気にもならない。淡々と、時が経つのを待っている。カーテンの隙間から差し込む光を目にして、朝を迎える。1日のルーティンを始める。ポケモン勝負をし、仕事をし、仲間たちとくだらない話をして、また、ここに帰る。ベッドに横たわり、静かな夜が早く去るように願う。

 休まらない。心も、身体も。

(弱すぎるだろ、オレさま……)

 メンタルは強いと自負していたが、炎上が始まった頃から眠れない日々が続いている。相当参っていたらしい。己が発するSOSに気付かないフリをして、日々を耐え忍んでいたせいなのかもしれない。

 もう炎上は終わった。心配事はない。ようやく開けたSNSのコメント欄も、いつも通り。平和だ。

 だというのに、今も何かが、喉に刺さった小骨のように引っかかっている。

 そのせいで、眠れない夜がずっと続いている。判断力も思考力も鈍っている気がした。

 ジリジリ、ジリジリ、すり減っていく。時間が経つにつれて、自分が削られていく。

(対策してもこのザマか)

 キバナはネットで得た知識を総動員して、睡眠改善に努めた。睡眠サプリ、睡眠グッズ、睡眠の質を上げる食生活や運動。あらゆるものを試したが、改善の兆しは見られない。手は尽くした。

(そろそろ病院行けよって話だよな)

 やはりここは専門家に頼るべきだ。頭では分かっているが、負けてしまったような気がするのだ。キバナを好き勝手に叩いた、世界中の誰かに。自力で乗り越えたいと意地になっていた。

 今日もキバナはベッドの上で寝返りを打った。

 取り留めのないことが浮かんでは消えていく。

 チャンピオンの交代、掴めない頂点、最強、次世代、鵜吞みにしてしまったもの、防げたもの……。

(あいつらに託そうと思った。あいつらなら解決できると思ったんだ)

 ダンデを追って渦中へ飛び込んだユウリとホップ。ダンデの手助けをしたい、危機的状況を打破したい。あの力強い瞳を見た、あの時の自分の判断は間違ってはいない。外野に好き勝手言われようとも、これだけは揺るがない。

(それで良い。オレだけが分かっていれば。誰に理解されなくとも)

 目が冴えている。暗闇で息を殺して、夜明けを渇望する。
 耳が痛くなるほどの静寂が、キバナと添い寝をしている。

 世界に、取り残されている。


***


「えーえす、何だっけ?」
「ASMRだよ、ASMR。睡眠向けのものがあって、それを聴くとよく眠れるんだ~」
「ただ音を聴いてるだけでしょ?」
「騙されたと思ってさ~、聴いてよこれ。イヤホンかヘッドホンで絶対聴いて! 意外にハマるんだってば」
「えー」

 病院に行くことを決めた日。昼休憩でとあるカフェに立ち寄った際、キバナはこんな会話を小耳に挟んだ。より詳しく訊きたかったが、生憎注文待ちの列に並んでおり、ちょうど自分の番が来てしまった。後ろ髪を引かれる思いでキバナはカウンターへ行き、店員の熱い視線を受けながら注文を終えた。もちろん、ファンサービスは忘れずに。

 テイクアウト用の紙袋を提げ、キバナは早足でナックルジムへ帰った。「ロトム、ASMRについて検索頼む」と告げながら。

 昼食用に買ったサンドウィッチを頬張り、キバナはASMRについての知見を深めた。

「ふうん。脳がゾワゾワする感覚?」

 視覚や聴覚への刺激によって感じる、心地良い反応。脳がゾワゾワとする感覚。それらの名称を自律感覚絶頂反応、またの名をASMRというらしい。

 今までキバナの目に留まらなかったのは、ASMRを取り上げたまとめ記事が少なかったせいだった。

「医学的根拠はナシ。だが、睡眠導入の補助、ストレス解消、疼痛の改善……、ほう。試してみる価値はあるか?」

 睡眠改善についての諸々は検索していたが、音でのアプローチはあまり実践していなかった。

「クラシックやバラードを聴いてリラックスを狙っていたけどなあ……。焚き火の音、咀嚼音、タイピングの音、耳かき? 舐め……? 本当にこれで眠れるようになるのかよ。あー、でもな……。んー?」

 キバナは眉間にシワを寄せ軽く唸る。不眠の日々から解消されるのなら。やらない後悔よりやった後悔がいいではないか。

 キバナはサンドウィッチをごくん、と飲み込んだ。

「よし、帰ったら早速聴いてみるか!」


***


 動画投稿サイト「ポケチューブ」には多種多様なASMR動画が存在していた。美容室のシャワー、メイク、タイピング、本を捲る音、耳かき、マッサージ。キバナの知らない世界がそこにはあった。

 これなら眠れるかもしれないと期待に胸を高鳴らせるが……。

「いらないんだよな、こういうロールプレイ」

 1時間後。キバナはベッドの上で意気消沈していた。五体を投げ出し、自室の天井を仰ぐ。

 様々な動画を開いてみたが、正直期待外れだった。

「妹とかマッサージ屋の店員設定とかいらないんだよなぁ。声が……邪魔だ……。オレさまはそういうエロい設定求めてないんだよ」

 先程視聴した動画は、幼馴染みの女の子という設定だった。耳かきの音にリアリティーがなく、恋愛展開を期待しているような台詞が邪魔だった。これでは単なる雑音だ。しまいには耳舐めパートに入ったので慌てて動画を止めてしまった。

「かといって、ひたすら耳かきやらマッサージやらする動画も味気ないんだよな。ゾワゾワする感覚は理解できた、が……」

 なんだこの程度か、という落胆にも似た気持ちが胸の中に渦巻いている。もうやめてしまおうか。諦めて医者にかかるべきだ。

「つってもな、まだ1時間だしな」

 キバナはヤドンのような非常にのろのろとした動作でスマホを拾い上げた。

「もう少し粘ってみるか」

 イヤホンをつけ、理想のASMR動画探しを再開する。

【ASMR 高品質マイク使用 朝までぐっすり寝かしつけ】【あなたを確実に眠りにつかせる10種類の音】【音質ヤバすぎ!? 99.9%寝ちゃう ASMR】等々、興味深いものばかりだ。その中でもキバナは耳かきの実写サムネイルに惹かれ、その動画をタップした。

「頼むぜ……」

 ところが、再生されたのは違う動画だった。タイトルは【チリーンと一緒に 癒しの音で朝までぐっすりおやすみなさい】。目当ての動画のひとつ隣を誤タップしたらしい。小さく悪態をついて前のページに戻ろうとしたその時、彼の耳に可憐な声が飛び込んできた。

『今日も勉強お仕事、お疲れ様。いい夜を過ごしてね。今日は、ホウエン地方に行って、チリーンの鳴き声を録音してきました。これをBGMにして、ゆったりまったりしようね』

 ――後ろに誰かいる?

「っ、あ? んだ、これ」

 イヤホンを押さえ、思わず後ろを確認した。当然人はいない。寝室にはキバナと、ボールに入ったポケモンたちだけだ。

「臨場感あり過ぎだろ」

 これがASMRの真価なのか、とキバナは内心舌を巻いた。説明欄を読んでみる。どうやらアーカイブ配信のようだ。

『うん? 今週2回目の配信だね。いつもは週1なんだけどね』

 今度は右耳から囁き声が聴こえてきた。

『チリーンがたくさんいる所に行ってきたんだ。見つからないようにそっと身を隠して録音してきたよ。鈴みたいな綺麗な鳴き声で……、一刻も早く皆に聴いてもらいたくて、急遽配信しました』

 チリン、チリンチリン。囁き声と共に軽やかな音色が聴こえてくる。ガラスがふつかるような、鈴を鳴らすような、不思議な音だ。これがチリーンの鳴き声らしい。ガラルには生息していないので、この動画で初めて聴いたことになる。

『知ってる? チリーンって、7種類の音色を使い分けて仲間と会話をするんだって。だから、それにちなんで今日は7種類の音で癒していくね。まずは氷と炭酸水』

 カランカラン、とコップに入った氷の音。それから、シュワシュワ……っと溶けていくような炭酸の音。たったそれだけなのに、脳がゾワゾワとしている。キバナは喉を馴らしてイヤホンを耳の奥に更にはめ込んだ。

 それからきっちり7種類、キバナはこの優しくて甘い声の主によって生み出されるASMRを堪能した。

 余計な台詞やロールプレイはなかった。だから、彼女が生み出す音に深く集中できた。

 喋ることはあったけれど、それも必要最低限のもの。これから使う道具は何なのか、音量はちょうどいいか、こちらを気遣うものばかりだ。

『今日も頑張ったね』

 何気ないひと言が、胸にしみた。
 乾いた土に吸い込まれた一滴の水のように。

 そうか、とキバナは呟いた。

(そうだよ。オレは頑張ったんだよな)

 頑張りに応えてくれるポケモンたちを褒めた。
 炎上騒ぎを共に乗り越えた部下たちを労った。
 炎上が起きてもキバナを支持してくれるファンたちに感謝を伝えた。

 ずっと強いままの自分でいた。

 たとえ10年連続で敗北しても、チャンピオンに届かなくても、アンチに心ない言葉を投げつけられても。

 キバナは折れない。揺るがない。

 それがトップジムリーダー。ドラゴンストーム。最後の門番。宝物庫の番人。

(でも、じゃあ……誰がオレを認めてくれるんだ。誰が『頑張ったな』と言ってくれるんだ)

 ――キバナは強いから。弱い人の気持ちが分からないのよ。
 ――キバナくんって私がいなくても平気でしょ。

 かつての恋人に、別れ際に言われた台詞を思い出す。

 そんなわけないだろと反論しかけて、いや、ポケモンがいれば……と引き止める手をそっと降ろした。

 そう、自分は強いのだ。鋼のような心で、意志で、何事も成し遂げてきた。

 弱いキバナ(自分)はキバナではない、という思い込みもあった。チャンピオンになるような男は小さな石(外野からの悪意)に躓いていられないから。

(炎上中もリョウタたちの前で気を張っていたな。ポケモンたちの前でも、いつも通りに振る舞って。弱音を吐く相手もいなかった)

 ――頑張ったよ。

「そうだ、頑張ったよ。頑張ったんだよ、キバナ」

 キバナは忘れていた。自分自身を甘やかすことを。

 いつも全力疾走で目標を叶えるために奮起していたから、いつしか止まり方が分からなくなっていたのだ。

(甘やかしていいんだよな。オレが甘やかしてやらなかったら、誰が自分自身を甘やかしてやるんだよ。認めてやらなかったら……それこそ本当にダメになっちまう(・・・・・・・・・・・・・・)。頑張ったんだよ、本当に頑張ったんだ)

 炎上中、本当は叫んでやりたかった。

「どうしてオレさまなんだよ。ここぞとばかりに叩いてきやがって。よく炎上するから今回も良いとか思ってんじゃねえ! 未然に防げた? そんな仮定の話をするな。事後に『ああしておけば』『こうしておけば』ってしたり顔で何を語る。100歩譲ってオレさまに非があったとしても、そこでダンデに勝てないのは関係ないだろが。つーか、チャンピオンになれなかったとかうるせー! オレさまは諦めてねーよ! ライバルが増えただけ。倒し甲斐があるってもんだろうよ! って、あ……」

 結局ここで叫んでしまった。モンスターボールの中で眠っていたポケモンたちが「何だ何だ」とキバナを見上げている。心配症のヌメルゴンがボールから出ようとしたので慌てて宥める。

「大丈夫。何でもないぜ、少し疲れただけだ」

 心の底に溜まった澱を吐き出したお陰だろう。少しスッキリしていた。魚の小骨のように引っかかっていた何かも、いつの間にか消えていた。

 シークバーは終わりに近付いていた。耳かきをしながら、彼女は労いの言葉をかける。

『大丈夫。大丈夫だよ。ダメになっても大丈夫。今は私がいるからね。いーっぱい自分を甘やかして、いーっぱい休んでね』

 キバナに向けられたものではない。この動画を聴いた不特定多数の誰かに向けられたものだ。偶然見つけて、偶然好みの声で、偶然良い音を出して――勝手に救われただけだ。それでも、キバナはもっと彼女の動画を聴きたいと思った。

(この声の主のお陰で、気付けた。オレさまは頑張ってきた。頑張ってきたって……気を抜いて、甘やかしてやれる時間を作れるのは……、この人のお陰だ)

 この動画の主の名前は誰なのだろう? チャンネルの説明ページへ飛ぶ。

……?」

 開設日は2週間前。新人らしい。登録者数は2桁にやっと届いたくらいだ。

 しばらくキバナは考え込んで――チャンネル登録のボタンを押した。

 タイマーをセットし、一定の時間が来たら動画を停止するように設定。イヤホンの位置をもう一度調節。ベッドに入り、灯りを消す。

(今なら眠れる気がする)

 さっきまで聴いていたものとはまた別の動画を再生する。

 の囁き声が、キバナを優しく包む。 
 の出す音が、キバナを癒す。

 目を瞑る。音に集中する。睡魔がキバナの傍に寄り添っている。久しく感じ取れなかったそれに、キバナは熱い抱擁を交わしたくなった。

 眠りに落ちる際、ちょうどが『おやすみなさい』と言ったのでキバナも「おやすみ」と返事をした。

 夢は見なかった。


 この出来事をきっかけにして、キバナはを推すようになる。

 彼女のくれる音と声の虜になったのだ。