転売ヤー絶許⑩
あの女の人、私がトゲまるを散歩させていた時に出会った。穴に落ちかけた私を助けてくれた人だ!
髪が白くて目の朱い女の人! 特徴的だし、何より命の恩人だから覚えている。
こいつらの仲間なら、シンジュ団の人たちが女の人を知ってるわけないよ。
女の人はゾロアに気付き、駆け寄っていった。後からやって来た男のうち、赤い着物を羽織った男が、ゾロアを虐めていた男へ咎めるような視線を送る。
「あんま痛めつけてやるなよ。このポケモン、一応俺たちの大事な商売道具だぞ?」
「だけどよお、お頭。こいつがへましなけりゃあ、もっと儲けられたっつうのに。このゾロアって奴、使い物にならねえよ」
何様なんだよ、あいつ。吐き捨てるように言いやがって! 使い物にならないだとお? ポケモンを道具扱いすんな!
「やっちまったもんはしょうがないだろ。姿を変えられるポケモンというのは、今のところこいつらしかいない。それに他のポケモンと戦うことになったら追い払ってくれる。十分役に立つぞ、こいつらは」
「そりゃ、そうっすけど」
ふいに、グルルルル……と獣が唸るような声が聞こえた。出所は女の人。歯を剥き出しにしたかと思うと、周囲が蜃気楼のように歪んで姿が変化していく。
「えっあれゾロアークだ!!」
女の人がゾロアークに化けた。違う! ゾロアークが女の人に化けていたんだ!
「シーッ! 指を差すな。見つかったらどうするの」
「わっごめん……」
慌てて口を塞いだ。見つかったら絶対こいつら捕まえにくる。
しかし、そうか。ポケモンだったのか、命の恩人は!
よく考えたら、化けた時の外見ってヒスイのゾロアークのカラーリングだ! こっちの世界の人、地毛が赤とか青とか珍しくないから慣れちゃって疑問にも思わなかったけど。よくよく考えたらちょっと人間的にはない組み合わせだ。
はあ~、なるほどね? ポケモンだったら、私を穴から引っ張り上げるくらいの力もあるか。
「んだよ、お前。文句あるのか」
ゾロアを虐めていた男がゾロアーク相手にすごんだ。
「なんだよ、その反抗的な目はよお」
おい、と男が声をかけると、今までだんまりだった青い着物の男が、手に持っていた何かをゾロアークに見せた。
もしかして、あれもゾロアじゃない? すごく小さい。生まれたてって感じの……。
「こいつがどうなってもいいのか?」
ゾロアークが怯んだ。弱々しく2 、3歩前に出るが男はその分交代して、小さな赤ちゃんゾロアにナイフを突きつける。
私は、このゾロアークがあいつらに従っている理由を理解した。人質を取られているんだ。
「お前らいっちょ前に人間みてぇに家族こさえてよお。仲間が殺されるとなったらバカみてぇに従順になりやがる。人間様に楯突くんじゃねえよ、ポケモン如きがよ!」
「ぎゃうん!」
ゾロアークが男に殴られた。ああ、技を使えばこいつらを蹴散らせるはずなのに、仲間を人質に取られているからできないんだ。
知らず知らずのうちに唇を噛み締めていたらしい。口の中、血の味がする。あいつら最低。
「おい。あれ連れて来い」
「もういる」
男の側に現れたのは、ユキカブリとズバット。……あいつらのポケモン? なんかこの2匹も怯えている。見た目もボロボロだ。
「お頭ぁ、いいですよね?」
お頭と呼ばれた赤い着物の男は、やれやれと首を横に振り、「折檻も程々にしろよ」とだけ言った。
「おら、いけ」
ユキカブリとズバットは戸惑っている。後退りしたが、「お前らも殴られたいのか?」のひと言で態度が変わった。ゾロアークに向かって技を放つ。ゾロアークの悲痛な叫びが聞こえてきて思わず目を逸らしてしまった。
惨い。惨すぎる。腸が煮えくり返りそうだ。よくもポケモンにこんな仕打ちができるものだ。
暴力は嫌いだ。一方的な蹂躙だ。痛いと泣き叫んでも助けてと懇願しても、あちらはその反応を楽しんで、更に暴力を振るうのだ。
「ハイブリッド私」になったとはいえ、今世にされた仕打ちが風化されているわけではない。感情は残っている。恐怖と――世界に呪詛を吐く憎しみが。
あのゾロアークは、まるで前世の記憶を失う前の私のようだ。
昔、ゾロアのさっちゃんと遊んだことがあるから、余計に感情移入してしまう。
助けたい。この状況、どうにかしないと!
「カイさん、あいつらやっつけられないかな!?」
「……」
カイちゃんは真っ青になっていた。「どうしよう。わたしはどうしたら?」とうわ言のように呟く。その横顔には先程までの長の表情はなく、歳相応の女の子のものだった。そ、そうだよな。カイちゃんもこの事態は予想外だったはずだ。
唾を飲み込む。できることなら、あのゾロアークを助けたい。
「ねえ、カイさん」
私はカイちゃんの肩にそっと触れる。
「あのゾロアークたち、助けていい?」
「わ、わたしだって助けたい。でも、グレイシアとエーフィだけでは無理だよ」
「うちのグレッグルと一緒でも?」
「……3対3ならやれるかもしれない」
ポケモンにはポケモンで対抗するにしても、問題はあの男たちだ。3人もいる。
赤い着物の男はお頭と呼ばれていたから、リーダーだろう。
青い着物の男はナイフ持ち。赤ちゃんゾロアを人質に取っている。
黄色い着物の男は多分短気。すぐ手が出る。一番許せない。
一方、私たちはか弱い女子2人。力づくで青い着物の男からゾロアを取り返せるか? 無理だよな……。
「どうしよ……」
こうしている間にもゾロアークは嬲られている。早くやめさせなければ。
「――ちっ。“ゲンキノツボミ”売り捌いて稼げると思ったらこれだもんなぁ? あーあ。お前の仲間が、同じ顔のガキに化けなければなぁ? 尻尾を出すなんてヘマしなけりゃあなぁ? あのバカな商人どもの目を欺き続けられたっつうのによお!」
――は?
耳を疑う。なんだって。今、あいつらなんて言った?
「“ゲンキノツボミ”? まさか、あいつら転売ヤー?」
そういえば、私がギンナンさんと商いをした日。同じ顔の子どもが来たじゃないか。逃げた2人組のうち、ひとりはゾロアだった。
――ギンナンさん! もしかして、ゾロアが違う人間化けて何回も買いに来てる? それで、転売しているんじゃないの?
この仮説が、合ってたとしたら。
こいつらが、ゾロアと組んでる転売ヤー!?
あのゾロアを虐げておきながら、道具のように扱ってる!?
「て、てんばいやー?」
「転売ヤー。あいつら、もしかしたら“ゲンキノツボミ”の在庫切れに拍車をかけていた奴らかもしれない」
「つまり、あいつらは」
「つまり、つまり……めちゃくちゃ悪いやつ!」
許せない。今すぐあいつらとっ捕まえてやらないと――。
「おいアンタら、ここで何をしているんだ」
心臓が凍った。後ろに誰かいる!
すぐさま振り向けば、そこには見たことのある顔が。
「あっ。こいつ――」
あの日買い物に来ていた客、いや、転売ヤーじゃねえか! 商人たるもの常連客を得るため顔を覚えておくべし、がここで役に立った。
ってことは、あいつらの仲間だ! 3人だけじゃなかったんだ。
「お頭、お頭ああ! ここに誰かいる!」
「うわ」
しまった、あいつらに見つかった。挟み撃ちにされる!
「あぁ? おい、捕まえておけ」
3人組がこっちに来る! まずい!
「カイちゃん!」
カイちゃんは動けない。さっきより顔面蒼白で突如現れた4人目の男を見つめているだけだ。
4人目の男はカイちゃんの腕を掴もうとした。あっと思った瞬間、身体が動いていた。私は男に体当たりをかました。
「うわああっ!?」
幸運なことに、男は雪の上に倒れ込んだ。女相手と油断していたからかだろう。大量の荷物が入った背嚢を背負った私は、さぞ重かったに違いない。
「カイちゃん逃げるよ! 走れる!?」
「う、うん」
ゾロアを助ける前に私たちが捕まったら意味がない。私たちは来た道を戻る形で走り出す。
「ちょげちょっげ!」
今まで大人しくしていたトゲまるが笑っている。アトラクションじゃないんだぞ!
遠くから転売ヤーの声が聞こえてくる。振り返って確認してみたら、ポケモンと一緒に追いかけて来ている。うわ絶対捕まえる気だよ。
「わっ、伏せて!」
「きゃあ」
カイちゃんの肩を掴み地面へ伏せる。頭の上を空気の塊が通過していった。
「あいつら容赦ない」
ズバットが技を出すのが見えたから伏せたけど、これポケモンで応戦した方がいいよな。いちいち足止め食らってたら捕まっちゃう。
「カイちゃん、グレイシアとエーフィで戦いながら逃げ……」
カイちゃんは戦えない。表情を見てわかった。これは、無理をさせられない。そういえば、口調も素に戻っているんじゃないか? 覇気がなかった。
近付いてくる追手。戦意喪失のカイちゃん。私のポケモン。私の持っている道具の数々……。
あいつらに捕まったらどうなるんだろ。酷いことされるかな。……殴られる覚悟はある。大丈夫だろ、痛みはある程度慣れてる。
カイちゃんが痛い目に遭う方が、よっぽど痛い。この子を逃がそう。
「カイちゃん、ちょっとトゲまるを抱っこしてもらっていい?」
「あ、うん……」
私は背嚢を降ろして、中からある物を取り出す。さて、上手い具合にいくかどうか。追ってくる転売ヤーめ、食らいやがれ!
「いくぞオラァ! “めかくしだま”!」
案外ひょろひょろのフォームでもなんとかなるものだ。転売ヤーの近くに投げつけた“めかくしだま”は、着弾後、辺り一面に煙幕を張った。転売ヤーたちの悪態をBGMにして、私はカイちゃんに向き直る。
「これで時間稼ぎにはなるかな」
「あなた、何をしたの」
「何って、カイちゃんを逃がすために」
青い瞳が大きく見開かれる。
「にっ、逃げない。シンジュ団の長は勇敢に立ち向かい」
「ううん。逃げて。それで、応援を呼んできてほしい。私が足止めするから。お願い」
2人逃げて捕まるよりは、ひとり逃した方が確実性が上がると思うから。
「ねえ、カイちゃん。適材適所だよ。今はさ、カイちゃんが応援を呼ぶ方がこの状況の打破に繋がるんだよ。カイちゃんは土地勘があるし、野生のポケモンから身を守れる。シンジュ団の長だから、皆を集めて応援を呼ぶのに時間はかからない」
足止めくらいならレディーと一緒にできるはず。
「だけど……」
「お願い。応援を連れてきてさ、私とあのポケモンたちを助けて」
「それでも、わたしが戦った方が」
確かにそうだろうな。でも、カイちゃんの中にまだ恐怖が残っている。例えグレイシアたちがやる気でも、多分この状況は突破できない。
私が逃げおおせる確率は低い。あいつらに捕まって時間稼ぎをしていた方が、生存率が高いと思うんだ。なんとか切り抜けてやろうじゃん!
「私は任せろ! 絶対大丈夫!」
カイちゃんはトゲまるを抱きしめ何度もうなずいた。
「……わ、分かった」
よし。
「トゲまるを連れて行ってくれる? トゲピーってさ、人を癒やしてくれるんだよ。殻の中に幸せが詰まっているんだって。その子と一緒なら恐怖も和らぐはずだよ」
カイちゃんはうなずいた。
「じゃあ、わたしのエーフィを置いていく。グレッグルだけじゃ心許ないでしょう?」
「ありがとう!」
もうすぐ煙幕の効果が切れる。私はカイちゃんに目配せして逃げるよう促した。
「待っていて、絶対戻る!」
「お願いします!」
小さくなっていく背中を見送り、私は転売ヤーたちに向き直る。“めかくしだま”の煙は晴れて、4人の姿を顕わにする。
「レディー」
ボールから出てくるなり、レディーは私の脇腹に突きをかました。
「あいた!」
「ケッ」
何か言いたそうに私を見上げるレディー。
「えぇ〜? レディー、何で怒ってんの? ちょっとごめんて。頼むよ。あとでご褒美にきのみあげるからぁ〜」
しゃあねえな、と言いたげな視線をいなし、私はカイちゃんのエーフィに話しかける。
「君もごめんね。多分捕まるんだけど、ギリギリまで抵抗させてちょうだい」
「ふぃー!」
エーフィはやる気満々だ。転売ヤーのポケモンにいっちょかましてやってください!
「おわ! なんか来た!」
煙が晴れた瞬間、ズバットが攻撃を開始した。あれは何だろう【かぜおこし】とか!? エーフィがズバットの相手をするため飛び出していった。私たちの相手はユキカブリだ。
「レディー、【いわくだき】」
私の指示に従い、レディーが反撃に出る。ユキカブリも技を繰り出す。
「お前は逃げないのか」
黄色い着物の男が訊ねる。ゾロアを虐めた胸糞悪い奴だ。
「いやあ、私と一緒だと逃げられないと思うので……」
カイちゃんだけなら確実に大丈夫なんだよ。私が足手まといになるんで。
「それにほら、こうして応戦できてるし」
「それはどうだろうな」
なぁ、と男が声をかけたのはゾロアークだ。
「やれ」
ゾロアークは「きゅうぅぅ……」とくぐもった声を上げ、私と男を交互に見つめる。
「やれよ。あのゾロアがどうなってもいいならな」
やっぱ脅されているんだな。ゾロアークは頭を振って私に向き直った。
「グルルルルル」
目が、合った。
――私は幼い頃に戻っている。
目の前にはお父さん。
お母さんを亡くして、酒浸りになって、私に暴力を振るうお父さん。
アタシは何もできない。
だって、アタシには力がない。弱い。吹けば消えてしまうロウソクの火のよう。
痛みにじっと堪える。そうすれば、おさまるの。
そうすれば、お父さんはまた優しくなるのだから。
どうしてアタシばっかりこんな目に遭うの?
アタシはひとりぼっちだから、ポケモンと遊んでいただけなのに。
どうして「気味が悪い」と虐めるの? アタシ、アンタたちに何かした?
じっと堪える。嵐が去るように。
力がないから。何も持たないから。
人と違うことで爪弾きにされるなら。
それなら。
それなら……、
――こんな世界、いらない。
「っ、はっ、あぐ……っ」
気付けば地面に倒れていた。顔に雪が当たって冷たい。酸素が欲しいと肺が悲鳴を上げている。
「こいつ便利なんだよ。そいつが怖いと思う幻を見せてくれる」
黄色い着物の男がこちらにやって来る。
「見た目はどうにも末恐ろしく醜い奴だが、便利なモンだよなぁ、ポケモンって奴は」
見上げた男は残忍な顔をしていた。……どっちが恐ろしいんだよ、クソが。
レディーはどうしたんだろう。エーフィは? ゾロアークの幻影はトラウマを刺激するものなのだろう。同じものを食らっていたら、戦闘不能になっていそう。回復、しなくちゃ。
「はっはっはっ、はっ、っぐぅ……」
頭が重い。目がチカチカする。ふらふらになりながら立ち上がった。
「無駄だろ。てめぇに何ができる」
「……。時間稼ぎ」
男がせせら笑った。
私にチートはない。主人公のように突出した能力なんてない。
「何もない。何もできない。ないない尽くしだけど、なくてよかったもんがある」
この状況を一掃できる力なんて、ない。
ないけど、私は。
「あんたたち、みたいにさあ……」
そう、あんたたちにみたいにさ。
「ポケモンを道具にするような非道な心がなくてよかったよ」
男が私の胸倉を掴んだ。
「っだとてめぇ!!」
「真実でしょ。それにあんたら、小狡いことして稼いでるじゃない。ゾロアに化けさせて“ゲンキノツボミ”大量に購入して、売り捌いて」
「――お前どこでそれを! どこまで知ってる」
「あっ。ただの憶測だったんだけど。へへ、証明されたね」
男の顔が歪んだ。あ、これ怒ってんな。この人短気っぽいし。
「人をおちょくるのもいい加減にしろよ」
「うるっさいな。顔近付けんなよ。唾飛ぶんだよ」
頬に岩でもぶつけられたような痛みが走った。殴られたんだと理解したのは、地面に倒れ込んでから。口の中に鉄の味が広がる。あー、口の中切ったこれ。頭の中は妙に冷静だった。
「あぐっ!」
男が私を踏みつけた。頭だけは守らなきゃ。縮こまって手で頭を庇う。お腹はダメだ。背中。背中向け! こんな痛み、小さい頃に比べたら……!
何回も何回も踏みつけられるが、他の仲間から制止が入ってやっと止まった。
「お前はすぐカッとなりやがる。見ろ、この女に構っている間にもうひとりは逃げやがった。このまま追ったらこっちが遭難しちまうぜ」
立て、と言われ私は無理矢理立たされた。青い着物の男が私をジロリと睨む。
「お前、覚えがあるな。イチョウ商会にいただろ?」
「ふふ。どうも、いつもご贔屓にしていただいて」
「ああ、そうだな。いい商売させてもらっていたよ」
皮肉に皮肉で応酬されてしまった。
「……こいつを俺たちのねぐらに連れて行く。縛っておけ。どうするかはお頭の命令を待て」
黄色い着物の男はまだ殴り足りないという雰囲気だったが、渋々指示に従う。なるほど、こいつ転売ヤー連中の中でも一番下っ端なんだろうな。
「大人しくしろ。妙な真似しやがったら、もっと酷い目に遭わせてやる」
無言でうなずく。これ以上何もしねえよ、バーカ。
「お前殴りすぎだ。顔に傷がつくだろうが。この女、背は小さいが顔はなかなかだったじゃねえか」
「だってよお、生意気過ぎるんだよこいつ……」
荷物を取られて気を付けの姿勢で縛られてしまった。このまま歩けばいいんですね、了解です。いやあ、血が出てるかあ……。果たしてどっから出ているのやら。口以外にも額から出てるかな。嫌だな、本当に……。
まあ、この方が都合がいい、か。
私はそっと後ろを振り返り――赤い点々が雪に落ちていることを確認し、転売ヤーたちの後をついていった。