あなたの「唯一」になる日まで②

 どうしてこうなった。私は頭を抱えていた。

「どうしたんですか?」
「どうしたもなにも……」

 上機嫌なチリさんだが、私のテンションは現在絶賛下降中である。

 ペアになってまずはストレッチ。私は足を伸ばして座り、チリさんに背中を押してもらっている。体力測定にこんなのあったな。長座体前屈、だっけ?

「チリさん急に話しかけてきてどうしたの。しかも私とペア組むなんて」

 いつも私はあぶれるか、先生とペアを組む常連だ。

 ああ、まさかチリさんに声をかけられるなんて思わなかった。断ったら断ったでクラスメイトの視線が痛い。ほら、今も眼光鋭く睨んでくる女子がいるよ。怖いよ。【にらみつける】の効果はポケモンじゃなくても実感できるよ。

「そんなに限定デザート食べに行きたいの?」

 私は小声でチリさんに訊ねた。

「チリさん、私と友達になってまでそのカフェに行きたいの?」

 すごい執念だな。

「……」

 チリさんの頬が微かに引き攣った。あ、これツッコミたいのをぐっと我慢してるやつだ。今は人気者のチリさんとしてニャース被ってるから、崩すわけにはいかないんだろう。

「……なんでやねん」

 さすがに我慢できなかったらしく、チリさんは私にツッコミを入れた。もちろん、小声でだ。背中を押しているので、チリさんが私の耳に唇を寄せるのは自然なことだ。

「自分なあ……ほんま。……ほんまそういうとこやで」
「そういうとことは」
「目的と手段が逆やねん。あ、いや分からんでええわ」
「はあ」

 さて、今度は私がチリさんの背中を押す番だ。あ、チリさん華奢だな。肩が細い。羨ましい。……じゃなくて。やることはちゃんとやらないと。

 チリさんの背中を押しながら、私は考える。

 なんでチリさんは、私のことを気にかけてくれるんだろう。
 クラスの中では目立ってないし、友達も少ないし、何か面白い話ができるわけじゃない。

 本当に、謎だ。

 放課後だけならまだしも、普段の生活で親密になってしまったら……。平穏が脅かされてしまうかも。
 誰かと深く関わることはあまりしたくない。
 深く関わると、面倒なことが起きるから。
 深く関わるのなら、ポケモンとがいい。私のパートナーならば、面倒なことは起きないのだ。

 今まで通りの学園生活を送りたいのならば、チリさんを突き放せばいい。秘密を握っているのは私なんだ。これ以上私に関わるならチリさんの秘密を明かすぞって――。

 私は一瞬、瞼を閉じた。

 こういうことは、よくない。

 それは、あの人たちと一緒だ。

 チリさんは私と友達になりたいらしい。というか、友達と認識していたらしい。
 私はそれをお断りしたい。私がどっちつかずの態度だからダメなんだと思う。

 うん。ちゃんと言わなきゃ。
 私は友達になれません。

 放課後会うのもやめようって。

「ねえ、チリさん」
「うん? どうしたの?」

 チリさんは人気者モードで返事をする。

「チリさん。あのさ、そのカフェっていつまでなの? 今度の土曜日に行く?」
「行ってくれるの!?」

 チリさんは素早くこちらを振り向くと、キマワリのような笑顔を私に向けた。

「やった! 嬉しい! ありがとう!」

 よっぽど嬉しかったのか、チリさんは私の手を両手で握りしめる。

「絶対! 絶対ですよ! 約束!」

 チリさんの喜びように若干引きながらも、私は心の隅に芽生えた罪悪感から目を逸らす。

 このお出かけが終わったら、チリさんともう関わらないようにしよう。


***


 約束の土曜日。天気は晴れ。いいお出かけ日和ってやつだ。

 私は寮の裏口付近でチリさんを待っていた。

 待ち合わせの時間まであと10分。ソワソワ、ソワソワ。何故か落ち着かない。

「緊張、してるのかな。私……」

 学校の誰かと出かけるのが久しぶりだからだろう。

 でも、だからって張り切ってオシャレする必要、なかったよね?
 なんで私、新しいワンピースに袖を通しちゃったんだろう。

「なんか恥ずかしいかも」
「るり〜?」

 わたしのパートナーであるマリルが首を傾げた。

「ううん。何でもないよ。お出かけ、楽しみだねー?」
「るりっるりっ!」

 マリルの頭には、私が作った帽子が乗っている。ちょっと不恰好だけど我ながらいい出来。小花柄の白い帽子。今日の私とお揃いだ。

「ごめんなあ。待たせたやろ」

 チリさんの声が聞こえた。いつもより若干上擦っている気がする。

 私はマリルからチリさんの声がした方へ視線を向けて――。

「ううん。大丈夫。約束の時間まだ、だっ……」

 私は言葉を失った。

「ん? どないしたん?」

 ん、目の前にいるのチリさんだよね?
 あれ? 私服がイメージと違った!

「どないしたん? 自分、ヤドンみたいな顔してんで」

 チリさんの私服は、ひと言で表すなら「カッコいい」。これに尽きる。

 インナーとボトムスは黒で統一。アウターはブラウンチェックのテーラージャケット。オーバーサイズなのか、ちょっと腕まくりをしている。

 一番注目するべきは、耳。そう、耳! たくさんのピアスがついてる?

「え。チリさん、それピアス?」

 思わず指を差してしまった。

「いっぱい穴あけてる!?」
「ホンマにあけてんのは耳たぶだけやな、今のところ。こことここは、イヤーカフ」
「は、はあ……」
「アカデミーを卒業したら、穴増やそうと思っててん」

 チリさんは耳のふちをなぞりながらそう言った。

「どうや? カッコええやろ?」
「うん。カッコいい。すごく」

 私は素直にうなずいた。

 アカデミーの制服を着ているチリさんは女性らしくて清楚だった。
 けれど、今目の前に立っているチリさんには、男子に負けないカッコよさがあった。
 私は頭のてっぺんから爪先までチリさんを眺めて――。

「なんか、こっちの格好の方が、チリさんって感じだね」

 しみじみと呟いた。

 学校の制服とは真逆の私服。
 どっちもチリさんだけど、こっちの方が彼女らしい気がした。

「だからあ! そういうところやで……?」
「あれ? チリさん? どうしたの?」

 チリさんは何かを堪えるように眉間にギューッと皺を寄せたあと、妙に鋭い目つきになって私を見下ろす。

「……なんでもない」

 いつもより特段低い声で答えて、ふいとそっぽを向いた。何故か口元を押さえている。

「大丈夫? 具合悪いならお出かけ延期する?」
「とんでもない!!」

 慌てて私に向き直るチリさん。距離を詰められ、私は両手を握られた。

「行くで! ほら!」
「う、うん」

 そして私はチリさんと手を繋ぎ、目的のお店を目指すことになったのだった。

***

 テーブルシティのカフェに到着し、私たちは注文したスイーツを前に悶絶していた。

 写真を撮る手が止まらないよ!

「か、可愛い! さすが期間限定、気合い入ってる」
「アカンわこれ……ドオーのエクレア勿体なくて食べられへん……」

 チリさんが喉奥から絞り出すような声を出した。

 今日の目的はお店の期間限定メニューを食べることだ。お目当てのドオーエクレアやパピモッチのベーグル、マホイップパフェ、ヌメラのベリーケーキなどを前に、私たちは小さな子どものようにキャッキャとはしゃいでいた。

 こういう感じ本当に久しぶりだ。1年前くらいは私だって――ううん。こういうの考えるのはよそう。

 頭を小さく横に振り、私はフォークを手に取った。そろそろ食べちゃおう。

「いただきます!」

 ヌメラのベリーケーキにフォークが沈んだ。あ、これ中にジャムが入ってんだ。……見ようによってはグロいかもしれない。ジャムが紫色でよかったな。

「うわ。自分、躊躇なくフォーク入れるやん。あーあー。顔面にめり込んで……。ヌメラ可哀想や」
「……ケーキはケーキなので」

 私はちょっとムッとして答えた。

「あのねチリさん。15分かけて写真撮って食べずにそのままは、注文した意味がないと思うよ」
「そらそうやけど。もっと目で楽しんでもええやん」
「これはポケモンだけど、ケーキだもん」

 ねえマリル、と私の隣に座るマリルに話しかける。
 マリルはポケモン用のケーキを頬張って「リル!!」と元気よく返事をした。口元にクリームがついている。

「ふふ。ほらほら。ゆっくりお食べ」
「あ!」
「あ?」

 ナプキンでマリルの口元を拭うとチリさんが悲鳴のようなものをあげた。

「チリさん何?」
「ええなあ……」

「マリルのクリーム拭きたかったの? あ、チリさんのウパーも食べカスがついてるよ」

「そっちやない……」

 肩を微かに落とし、チリさんはご機嫌なウパーの顔を拭いた。顔周りについていたビスケットの欠片がポロポロと床へこぼれ落ちた。

「あ。そうや」

 チリさんは何か思いついたらしく、にやりと笑った。悪巧みの顔だ。悪役の顔だ。それでも様になってるな。

「それ。今食べてるパフェ、チリちゃんにひと口ちょーだい」
「それ? えっと、このパフェ?」

 私が今食べているのは、「マホイップとペロッパフのふわふわスペシャルピンクパフェ」なんて大層な名前のついたパフェだ。生クリームとか綿あめとか、カラフルなチョコスプレーやアラザンが振りかけられていて、甘いきのみや果物がふんだんに盛り付けられている。

「ひと口でいいの?」
「うん」

 どうぞ、とパフェを押し出せば、チリさんは「ちゃうねん」と首を横に振った。

「あーん」
「あっ、あーん……?」

 え? 食べさせろって言ってます?

「チリさん」
「両手が塞がってんねん」

 ウパーの口にもう食べカスはないというのに、チリさんはナプキンで拭う手を止めない。バレバレの嘘。見え透いたおねだり。

 ……友達にあーんするのは、普通のことなんだろうか。友達が少ないから分かんないや。
 ……友達、か。

 この言葉がすんなり出るとは……。どうやら私、チリさんを友達だと認めているっぽい。

 え? そうなの、私?

 重いダンボールだと言い聞かせられて持ち上げたら中身が入ってなかった、みたいな。そんな気持ち。

 ムズムズしてもどかしくて、椅子に座り直す。
 違う! 私はチリさんに絆されてない!

「拭き終わってから食べたら?」
「あーん」
「……」

 これは引かないやつなんだなあ、と私は微かに天を仰いだ。

 仕方ないかあ、と私は肩をがっくりと落とした。別にいいか。減るもんじゃないし……。

 私は悟りを開いたような面持ちで、パフェを掬った。生クリームとアイスと諸々のトッピングがちゃんとスプーンに乗るように。

「はあ……。はい、チリさん」
「あーん」

 パクン、と桜色の唇がスプーンをくわえる。

「ん〜! あっまい!」

 形のいい唇が盛大に緩んだ。

「いつもより美味いわ」
「これ昨日発売したばっかだし、食べたの今日が初めてでしょ?」
「自分があーんしてくれたお陰やな」
「適当言わないでよお……」

 なんで私の心臓はうるさいのだろうか。ちょっと困る。
 チリさんの顔がいいせいかなあ、やっぱり。

 チリさんは満足してくれたらしく、ご機嫌に鼻歌なんか歌っている。その姿が少しばかり憎たらしい。
 本当、どうしてなんだろう? どうして、チリさんは私のこと……。

 私は前々から疑問に思っていたことを訊いてみることにした。

「……チリさんさあ。前から訊こうと思ってたんだけど、なんで私のこと気に入ってるの?」
「んー?」

 チリさんは、ウパーの頭を優しく撫でていた。

「なんでやろね」
「はぐらかさないでね。正直、私何もしてなくない?」
「そうやなあ」

 腕を頭の後ろで組んで、何やら考え込むチリさん。少し天井を見上げ、「何もせえへんかったから」とだけ言った。

「何も、しなかったから?」

 一体どういうことなのだろうか。頭の中は疑問符でいっぱいだ。

「うちが何でニャース被ってるのか訊かなかったし、私服を褒めてくれた。変に干渉せえへんかった。……それが気楽やったんや」
「それは……」

 諸々気になりはしたよ、もちろん。
 でも、そういうの重いかなって。面倒くさいじゃない。会ったばかりの人に軽々しく話さないでしょう?

「受け止める覚悟もないのに訊きたがるのは、ウザいかなって」
「ふうん。気になりはしたんやな」

 チリさんは目を細めてにやりと笑った。

「まあ、うん」
「へえー。ポケモンにしか興味なさそうにしてたのに」
「人間よりはポケモンが好きだよ。ポケモンは愛情をかけたらその分応えてくれるもの。それに、さすがにクラスでの態度が180度も違ったら気になるでしょ……」

 私はそこまで鈍感でいられる性分ではないのだ。

「チリちゃんがどうして学校では別人になるか知りたい?」
「……チリさんが話したいなら」
「んー。どないしようかなー。実は結構繊細な理由やねん」
「……」
「んー。やっぱやめよかなー」

 なんでウパーと私を交互にチラチラ見るんだろうか。
 どことなく揶揄うような感じに、私は少しムッとした。

「別にそこまで絶対聞きたいわけじゃないから。いらないです」
「あっ! 待って待って。ゴメンて。そないに気ぃ悪くせんとって!」
「チリさんが、言いたいんでしょ? 私に聞いて欲しいんでしょ?」

 あくまで主導権は私にある、という感じでチリさんを睨んだ。

「チリさんがどーーーーしても私に聞いてほしいみたいなので! 聞いてあげてもいいですけどー? どうなの?」
「き」
「き?」
「聞いてください。お願いします」
「はい。よろしい」

 ちょっと偉そうだっただろうか? でもチリさんが悪い。聞いてほしいなら素直に言ってよ。いつも放課後、こっちの事情お構いなしに一方的におしゃべりしてたくせに。

「変なとこで遠慮しちゃってもう……」

 友達って言うくらいなら、図々しくなってみたら? なんて。

 あーあ。やっぱり私、チリさんを友達だと認めてるなぁ……と頭を抱えてしまった。