その背中に追いつきたい子だなあ、と思いました。
第4クオーターが開始された。
誠凛の負けは確定だった。でも選手の誰も諦めた様子はない。火神君がベンチに戻ってもだ。
会場の観客は桐皇の勝ちだという雰囲気が漂う。実際、私だってそう思う。点差は開いていて逆転の見込みはない。
「……」
黄瀬君も、こんな展開になって驚いているのか言葉も少なく、食い入るように見ている。一方で緑間君は至極冷静だった。
「黒子君……どうして諦めないの?」
諦めたら楽なのに。
つい言葉が零れてしまった。
「――お前は黒子に諦めて欲しいのか?」
それを聞き逃さなかったのが、緑間君だった。
「まさか! 違うけど、誠凛はもう……」
「と言ったか。お前は黒子の何を見てきたのだよ」
「何を、って。同じクラスで、友達で」
本仲間で。好きな人で。
私は、バスケが好きで、一生懸命頑張る黒子君が好きになった。
「緑間っち……」
「奴のことは気に食わんが、元チームメイトだ。それなりに奴のことは分かっているのだよ。この数ヶ月で奴の価値観などそうそう変わらないだろう。ならば、お前と俺の知る黒子は同じはずなのだよ」
「……」
「黒子を知っていてそんな言葉が出るのが、驚きなのだよ」
「緑間っち、手厳しいっスよ! ほらさんはまだ黒子っちと会って短いし」
黄瀬君がフォローしてくれるが、彼も緑間君と同意見だろう。否定はしなかった。
「そう、だね」
黒子君が、可能性を自分から潰すわけない。一生懸命戦い続ける彼は、最後まで可能性を信じているんだ。
それは選手である2人も同じなのかもしれない。勝ちたいという強い気持ちが、あるのかもしれない。
と、そこまで考えて――理解した。
ああ、私は、……黒子君やこの目の前の2人に劣等感を抱いていたんだ、と。
この気持ちの正体は劣等感だ。
何も頑張らず、人を羨み、最初から諦めている。私は……逃げてる。だから、恥ずかしい。釣り合わない。正反対の彼らが遠い存在に感じるんだ。
諦めたらいいのに、と黒子君に対して思ってしまったのが恥ずかしい。
本当に何も私は分かってない。バカだなあ。
「さん!?」
「ん、」
「な、泣いてるんスか」
「えっ」
黄瀬君の言葉で我に返る。頬に生暖かい雫が伝う。あ、泣いてたのか、私……。
「ちょ、緑間っちハンカチないスか。涙拭かないと! ってか緑間っちが責めるような言い方するから!」
「なっ! 俺のせいにするな黄瀬!」
「明らか緑間っちのせいっス! あ、さん袖で拭いたら目が赤くなるっスよ! せめてティッシュ」
「いや私はそんな、別に、」
「仕方ない。ハンカチくらいならあるのだよ」
「持ってるなら早く言って欲しかったんスけど」
「ハンカチは常に携帯するのが身だしなみの常識だろう、バカめ」
「何で!?」
「ありがとう、ごめんなさいっ!」
「あっ、さんの涙が更に増えた!?」
緑間君から受け取ったハンカチで涙を拭いても、とめどなくそれは溢れてしまって――2人を大いに困らせてしまったのだった。
***
「112対55で桐皇学園の勝ち!! 礼!!」
「ありがとうございました!!」
試合が終わった。
誠凛は……、負けた。
「こんな試合を最後まで観るなんて俺もどうかしているのだよ。じゃあな黄瀬――と」
「早っス」
「もう帰るの緑間君!?」
まだ誰も帰り支度始めてないよ? よ、余韻とかないの!?
ちょっとはショックがないのか、と黄瀬君が訊くと意外な返事が返ってきた。黒子君の心配をしろ、と気になることを言ってきたのだ。理由を聞いて、誠凛バスケ部が心配になった。
「あのっ、緑間君」
「まだ何かあるのか」
背を向けた緑間君を引き止める。
「……お世話になりました。大切なことに気付かせてくれてありがとう。黄瀬君も、本当にありがとう」
試合の解説を分かりやすく教えてくれたり、泣いちゃった私を慰めてくれたり、2人にはたくさんお世話になった。
「ハンカチは洗って返すよ。また会おうね」
「気長に待つのだよ」
緑間君が去ってしまった後、
「緑間っち妙に優しいし絶対さんに……いや、どーなんスかねー」
黄瀬君が意味深な発言をした。
「緑間君がどうかした?」
「いや、どうもしないスけど、色々腑に落ちないっス……」
歯切れの悪い黄瀬君だけど私に教えてくれる気はなさそうだった。
帰りは黄瀬君が送ると申し出てくれたから、素直に甘えることにした(何かお礼がしたいと申し出ると私のメアドが欲しいと言われ交換した)。誠凛VS桐皇の試合が終わって帰る人が多い。ちょっとした混雑があって、あやうく迷子になりかけた。
「さすがに人多いっスね。大丈夫スかさん」
「な、なんとか。あの、黄瀬君」
「さん、どうしたんスか」
「お手洗い行ってきて……いいかな?」
「――もちろんっス。じゃあ、俺、会場の出入り口で待ってるんで」
男子にお手洗いに行きたいって言うのはちょっと恥ずかしかったけど、黄瀬君は気にすることなく爽やかな笑顔で返してくれた。
***
お手洗いから出たところで――誠凛バスケ部のジャージを視界の端に捉えた。今から帰るのかも。黒子君も当然いる。会いたいけど、会ってどうしよう。
迷いながらも追い掛け、曲がり角に差し掛かった。
「!」
思わず足を止め、壁に背中をくっつけた。心臓が急にうるさくなる。恐る恐る先を窺う。黒子君の後ろ姿を確認した。まさか、ちょうどいいタイミングで彼を見つけるなんて!
話し掛けるのは躊躇われた。行って、話し掛けて、私はどうするのか?
――試合お疲れ様。負けちゃったね。でも次があるよ。頑張って。
……ああ、なんて薄っぺらい言葉なんだろう。
諦めることしか知らない私が、諦めることを知らない黒子君に声を掛けたって、彼の気持ちを和らげてあげるような、そんな相応しい言葉が出るわけない。
「黒子君……!」
だから黒子君が下を向き、壁を殴った瞬間、息が詰まりそうになった。
彼にとって――これは思い入れの強い試合だったはずなのだ。背中しか見えないからどんな表情かは分からない。でも、なんだか泣いているようにも見えた。
しばらく動けなかった。黒子君がいなくなったのを確認し、息を吐き出す。まばたきすればじんわり視界が涙で曇った。泣くな。泣きたいのはバスケ部の皆さんに決まってる。私が泣いたって意味がない。パチンと両頬を叩く。
黄瀬君を待たせちゃいけない。さっき登録されたばかりのアドレスに「今から向かいます」のメールを送る。
小走りになりつつ、出入り口へ向かう。頭の中は黒子君のさっきの後ろ姿と、緑間君が教えてくれたキセキの世代と黒子君との関係でいっぱいだった。
疑問が1つある。
黒子君は劣等感を味わったことはないのだろうか?
彼はバスケが好きだと言っていた。好きだから一生懸命になれると言った。――だけど。どんなに頑張っても彼は『天才』にはなれなかった。
能力を見出され、6人目として試合に出ても――彼は……本当は……、
……すごいよ黒子君。よりによって自分のバスケを貫いて、中学の元チームメイト相手に認めさせるって……しかも『キセキの世代』なんて。
それでも自分が出来る限界を見極めて、諦めないで、自分が好きなバスケに向き合っていく。
逃げたりしない。
「もう止めだ。私も逃げたりしない」
彼の隣にいたい。彼の隣に相応しい人間になりたい。
バスケと文芸。その土俵は違うけど、きっとその精神は同じものがあるはずだから。
逃げないで私は向き合うの。私の心と向き合うの。
私、お話を作るのが大好きだもの。負けたくない。『弱い私』に負けたくない。
「それならもう、やることは決まってる」
私が大好きなことを、もう一度。
黄瀬君と合流した時には、私の足は随分軽くなっていた。