伝えたいことははっきり伝える子だなあ、と思いました。
黒子君に手紙を渡して何日か経った。音沙汰がない。全くない。
待つと書いた以上、私は信じて彼を待とう。だって未だに、授業以外で黒子君を捕まえられないし。
ようやく着慣れた制服を纏って、今日も私は図書室へ足を運ぶ。貸出当番、今日は降旗君でも黒子君でもないや……。ちょっとがっかり。
カウンターに座っている当番の女の子と目が合って、互いに会釈した。もしかしたら私、図書委員ほぼ全員に顔を覚えられている……?
と、いつもの窓際の読書スペースへ行ことして、
「さん」
「わあっっ!?」
目の前にいきなり誰か出てきた! えっ、何何何っ!? さっきまでいなかっ、
あ、
「ああっ!!」
ずっとずっと、話をしたかった人が、いる。
ここに、目の前にいる。
「黒子君!?」
そう、目の前に現れたのは黒子君だった。瞬間移動でもしてきたのかと思うくらい、急に現れるんだから!
人差し指を唇に当て、静かにしましょうと促した。いやいや。こんなに騒いだのは、黒子君が驚かせてきたからだって。でも、ちょっとその仕草可愛いなあ。……じゃなくって!
「ほ、本物だ」
「偽物がいるんですか」
「言葉の綾だよ!」
「黒子テツヤは僕しかいませんよ」
微笑みが眩しい。それを見て、収まりかけていた心臓のドキドキが、またやって来てしまった。驚かされてのドキドキから、好きな人を前にしてのドキドキに変わってしまったのだ。
教室以外で、黒子君にやっと会えた。こんなに近くで。前みたいに、話せてる。それだけで、このときめきも悪くないのかと思ってしまう。うん、もう重症だこれ……。
「手紙読んでくれたの?」
「はい。遅くなってしまい……、いえ。君から逃げてしまい、」
すみませんでした、と。まさか謝られると思っていなくて、私は目を数度瞬しばたたいた。
「そんな、別に……。確かに寂しかったけど、その……」
「君を傷付け、悩ませてしまいました。本当にすみません」
眉尻を下げ、彼は再度謝った。もしかしたら、黒子君がこんなに表情を変えているのは珍しいことなのでは……。
「それでですね」
「うん」
「今日、部活が休みなんです。だから……、放課後に話をしませんか? きっと、昼休みだけでは時間が足りないと思うんです」
「足りなく、なるの?」
「今まで話せなかった分、話したいんです。ダメですか?」
「ダメじゃない。ダメじゃないよっ!」
思いがけない提案だったけど、私は一も二もなくうなずいた。黒子君と少しでも長くいれるなら、放課後で構わない。それに、手紙に書いた打ち明けたいことって、告白なんだよね。だから、心の準備が間に合わなかった今より、放課後の方が精神的に助かる。
「じゃあ、放課後にまた会いましょう。帰りのホームルームが終わったら、そのまま教室で待っていて下さい」
「分かった!」
こうして、黒子君と話すのは放課後までお預けとなった。
***
教室は私以外に誰もいない。ガランとしている。皆、帰るのが早いな。空の端に薄い水色が残っている。杏色のピクニックシートが足りなかったのかもしれない。――うーん。夕暮れを表現するには、分かりにくい。と、現実逃避を試みる。だって、もうホームルーム終わっちゃったんだよ! 午後の授業の記憶があまりないんだよなあ。これからのことを考えてたから……。
私、黒子君が来たら告白する。好きですと打ち明けるんだ。深呼吸、深呼吸。緊張を訴える心臓を、馬でもあやすように落ち着ける。すぅーはぁー、と繰り返してみても、ちっとも平常にならない。諦めた方がいいのだろうか。ならば、と窓の外を眺めてみる。練習する運動部の姿が見えた。あれは、陸上部かな。校庭を走っている。準備運動? ランニング? あ、向こうは野球部かな。バット持ってるから素振りでもするのかな。そしてあれは、
「さん」
来た、と思った。一瞬、身体が硬直した。黒子君が来たんだ。ゆっくり、ゆっくり振り返る。そこには――、
「お待たせしました」
今度は、驚かなかった。少し息を切らした黒子君が教室の入り口に立っているのをばっちり確認した。
「そんなに待ってないよ」
「すみません、日直だったのを忘れていました」
日誌を届けに行ってたらしい。職員室からここまで結構距離がある。急いで来てくれたことに、私は嬉しくなった。
取り敢えず座ろうと提案し、私と黒子君は席に着いた。ひとつの机を挟んで、互いに向き合った。
「ええと、何から話せば……」
いきなり告白したら変だろうか。フラれた後いたたまれないから、後回しの方がいいのだろうか。
「僕から、お話しても良いですか」
「お願いします、黒子君」
高鳴る鼓動を抑えつつ、私は首を縦に振った。
「まず、キスのことなんですが」
「うん」
「勘違いしてたんです」
黒子君は、話してくれた。なんと、黒子君がキスした原因は、私と火神君が付き合っていると勘違いしたからだそうで。これには天地がひっくり返るくらい驚いた。何でと漏らすと、どうやら私が火神君に向かって「大好き」と言っていたらしい。えっ……、いつだろう……?
「さんは覚えていないんですね」
「火神君は覚えていた、ってこと?」
「そうです。君は『本が』大好きのつもりで言ったのに、僕は『火神君が』大好きなんだと勘違いしたんです」
「…………。あっ! なんか、そんなこと言ったような気が……、する……」
記憶を手繰り寄せる。あの例の3人組の先輩から助けてもらった直後かな。
「僕、ショックだったみたいです」
「そうだったの?」
「気持ちと行動が、一致していなくて。認めたくなかったんです。火神君は僕の光です。相棒、なんですが」
それでも、それでも。
「さんを、譲りたくはないと思ってしまいました」
だから、私に触れてしまったらしい。
本人にはその意図がなかったとしても、この言葉はダイレクトに私の心に突き刺さった。痛みはない。代わりにあるのは、甘い痺れだ。
譲りたくはない。
それは、もう大方あの2文字を匂わせているようなものだ。と、思う。多分。多分……。
「ダメですね。僕は、意外に独占欲が強いみたいです」
つ、と顔が近付いた。色素の薄い髪とお揃いの瞳は、じいっと私だけを見ていた。その他は視界に入らないと言わんばかりで。
ああ、さっきから顔が熱い。真っ赤になっている。これは、絶対そう。確信を持って言える。
「さん」
角砂糖を何個溶かしたら、こんな甘い響きになるんだろう? 迂闊に反応したら、私は甘さに蕩けて溺れて、きっと帰ってこれなくなる。
「僕は、さんに惹かれていました」
静かに彼は言った。
「……いつから?」
私は小声で訊ねた。黒子君が纏う物静かな雰囲気に、つられたのかもしれない。遠くで野球部の掛け声が聞こえた。
「いつから、でしょうか。実は、図書室で声をかける前に君のことは知っていました」
「どうして?」
「よく来るから、すぐに顔を覚えたんです。貸出データを参照すると、あなたが学年で2番目に本を借りているのが分かりました」
「図書委員はそんなことまで分かるんだね」
私、2番目なんだ……。
「もしかして、1番は黒子君?」
「そうですよ」
「なんか、納得した……」
「……よく来るので、どんな人なんだろうと観察してました」
「観察してたの!?」
人間観察は趣味です、と事も無げに言う。
「本の好みが似ていることが分かった時は、ますます君が気になりました」
声をかけるタイミングを、黒子君はずっと計っていたらしい。そしてあの日、本が取れずに困っている私に声をかけた――。
「いつから、なんて分かりません。気付けば君を、目で追いかけていました。話をしていくうちに、君は何かに苦しんでいて、好きなことを素直に出来ない悩みを抱えているのでは、と予想しました。だから……、」
何かのきっかけになれば、と試合に誘ってくれたそうで。やっぱり、私が考えたことは当たっていたらしい。
「僕も、過去にさんと似た思いを抱えていました。バスケが嫌いだった時もあります」
黒子君は目を伏せた。あんなに一生懸命やっているバスケを、彼は嫌いだったことがあるんだ。少し、信じられなかった。
「たくさんの後悔を経て、僕は高校で再びバスケを始めました。さんには、僕と似たような後悔を、させたくはなかったんです」
黒子君は、もう一度好きなことが出来るように、私の背中を押してくれたんだ。――あの試合を通して。
「また、書けるようになったんですね」
手紙の内容を、彼は覚えていてくれた。
「うん。ちょっとずつ、迷いながらだけど。スランプで暗い気持ちになりながら書くより、全然楽しい。だって、やっぱり、書くことは好きだから」
黒子君は、机に添えていた私の手を取って、そっと握った。強く握らないよう、気を遣っていることが分かる。ちゃんとしっかり、男の子の手だった。大きくて、――想像していたよりは、ゴツゴツしている。かと言って、逞しいというわけでもなく……、白魚のような手でもなく……。色は白めなのだけれど、うん……、スポーツをしている人の手なんだって感じがする。
「さん?」
「はっ、はいっ!」
はっと我に返った。緊張を誤魔化したくて、つい手ばかり観察していた。そうでもしないと、私は破裂してしまう。さながら「恥ずかしい」の空気がいっぱい詰められた風船だ。
「ご、ごめん。続けて……」
「では、改めて。さん」
「はい!」
「僕がここまで君を気にかけるのは何故かと考えて、答えを出しました」
互いの視線が、優しく交わった。
「夕陽が綺麗ですね」
「え?」
思わず窓へ目を向けた。確かに今日は夕陽が綺麗だ。満月みたいにまん丸で。濃いオレンジがその存在を主張するように地平線へ沈んでいく。その隅っこから淡く夜の色へ塗り替えられていく。
でも、どうしてこのタイミングで、
――あ、
「あ、」
再び黒子君の方へ視線を移す。思い出した。
「夕陽が綺麗ですね、君と見ると」
これは、私が貸した恋愛小説に出てくる告白のシーンと同じだ。黒子君によれたページから推理されてしまった、あの小説の。
主人公がその幼なじみに、告白されるのだ。誰もいない教室で。
夕陽が綺麗だな、と。
月が綺麗ですね。その台詞を真似て、幼なじみが言うのだ。
お前と見ると綺麗だな、と。
私が一番好きなシーンだ。
黒子君は覚えていたんだ。小説のあのシーンを。
「くろこ、く、ん」
夕陽が黒子君を照らす。頬がオレンジ色に染まっている。声音は優しい。彼は、私の考えはお見通しだと言わんばかりに、うなずいた。
「僕は、日本一になる夢を叶えます。さんも夢を叶えませんか?」
「小説はバスケと違って勝負事じゃありません。だけど、君と頑張っていきたい。どちらかが挫けそうになったら励まして支えてあげられるような、そんな仲になりたいんです」
「さんが悩んでいたら、すぐに気付いてあげられるような。そんな距離にいたいです」
「君が、大好きです」
信じられない。
好き、って。
ああ、
「僕と付き合って下さい」
こんな溢れそうな気持ちを、幸せな気持ちを、どんな言葉にしたらいいんだろうか。私には、分からない。
「あの! こ、こちら、こそ! お願いしますっ!」
一気に鼓動が早くなる。もつれそうになる舌を動かす。
「黒子君、その……。私、何て言ったらいいのか……」
「時間はたっぷりあります。考えがまとまるまで、待ってます」
私は、ほんのちょっぴり顔を近付けた。黒子君の顔がはっきり見える。微笑みが浮かんでいる。見たことないや、黒子君のこんな顔。
何て伝えよう。優しくて、強くて、諦めない心を持ったあなたに。
「……黒子君に、先越されちゃった。打ち明けたいこと」
「知りませんでしたか? 僕は負けず嫌いなんですよ」
ふふっ、と思わず笑ってしまった。確かにそうだね、黒子君は。
「黒子君と一緒に本の話したい」
「はい」
「バスケの話だって聞きたい」
「はい」
「夢を叶えたい」
「はい」
「悩んでたら飽きるまで傍に居てあげたい」
「はい」
私も、もっと頑張っていくよ。強くなるよ。だって君が、背中を押してくれたから。もう一度、と思えた。そうだ。私は考え過ぎなんだ。まだ私は黒子君にちゃんと言ってないじゃないか。
頭を整理して、深呼吸して心を落ち着かせる。ちゃんと言えますように。つっかえませんように。
口を開けて、シンプルに一言。とびきりの笑顔を見せる。
「黒子、ううん――テツヤ君」
「私も、あなたが大好き」
ああ、……やっと言えた。