不思議な気持ちにさせる子だなあ、と思いました。
とある土曜日。補習が終わったあと、本屋に立ち寄った。真っ直ぐ家に帰るのもつまらないから。
「これ買おうかなあ」
好きな作家の新刊が出ていた。残金を確認するが――なかなか厳しいかも。
本は服より衝動買いする。その時買い逃したら、損するかもしれないから。服も大切だけど、本はこれからの自分に大きな影響を与えてくれる。服よりは役に立つかなって思うんだ。これ友達に言うと「えー。ないわー」って理解してもらえない。いいもん、価値観の違いだもん。しょうがないよね。
本の中身を軽く読んだら、ますます買いたい気持ちが大きくなってしまった。読まなきゃ良かった……。
来月まで我慢しよう。なくなってたら、縁がなかったということで1つ。無理矢理そこを離れ、私は雑誌コーナーへ足を運ぶ。煩悩よ立ち去れー!
頭の中から誘惑を断ち切るように、私は適当にファッション誌を手に取った。あれ、これメンズだ。それを眺めているうちに、黒子君がこんな服装したら似合いそうだな、と思い始める。
デートでこんな服着てくれたら私、お気に入りのあの服で映画館とか行きたい。そんなビジョンが思い浮かび上がり――慌てて首を横に振った。
なに黒子君で妄想してるんだ!? 今のなしなし!
「――先輩、笠松先輩! 見て下さいっ! ここに俺が!」
「うるせー! 静かにしろ!」
そんな私の隣では2人の男子高校生が雑誌を立ち読みしている。確かにちょっとうるさい。どんな人だろう? 私はファッション誌を読むふりをして、横目で彼らを窺った。
あ、金髪の男子、知ってる!
黄瀬涼太だ。
モデルやってる人だ。モデルとか芸能方面は疎いけど、友達がよく騒いでいた。
ふと周りを見れば、彼に気付いてる人が何人かいた。顔を赤くしてる人も多い。特に女子高生が。目立つなあ、さすがモデル。
隣の黒髪の人は彼が言ってたように先輩なんだろう。
「あ、ほら俺が……って先輩いない!?」
騒がしいなあ、このモデル。ちら、とまた盗み見る。確かにさっきの人はいない。いなくなるの、なんか分かる。
なんて考えてたら、バッチリ彼と目が合った。
「君も買ってくれるんスね! ありがとうっス!」
急に話し掛けられた!
「えっ、この雑誌……?」
よく見れば、目の前の彼が表紙だ。本を買いたい衝動を抑えるのに必死だったから適当に選んだだけなんだけど。
「えーと、そういうわけじゃ……何て言ったらいいのか、あ、カッコ良く撮れてます、ね」
別に彼のファンではないが。カッコ良く撮れているのは事実だ。
「……」
「あのー」
「もしかして俺のこと知らないっスか?」
「えーと」
「なんか色々凹むっス……」
彼が犬みたいに見えてきた。しょぼーんって効果音と一瞬に犬耳と尻尾が垂れてるみたいな、そんな感じ。
あれ、そうなるとすごく可愛く見えてくる、かも?
「今までの女の子はサイン下さいとかメアド教えて欲しいとか言ってきたのに……」
「ごめんなさい。こういうの疎くて」
私は黒子君に詳しくなりたいっていうか、……あれ、何でここで黒子君出るんだろ?
変なの。
「すみません……、サインください!」
「モデルの黄瀬涼太君ですよねっ」
私と話しているのを見て、我慢出来なくなったのだろう。黄瀬涼太を遠巻きに見ていた女子高生が、彼に殺到してきた!
あっという間に彼の周りは人垣が出来てしまった。
「に、人気あるんだなぁ」
本屋が一段と騒がしくなる。人垣で押しつぶされる前に、私はここから離れた。巻き添えは嫌だ。
逃げるように本屋を出たところで、誰かにぶつかった。
「わっ?」
「あ」
おそるおそる視線を下げる。制服のスカートにアイスが……!
ぶつかったのは、まだ小学生くらいの女の子だった。
「わたしのアイス……」
眉を八の字にして落ち込む女の子。もしかしたら、買ったばかりだったのかな。
アイスを見つめる女の子の目に涙が浮かぶ。私は反射的に、
「ごめんね、お姉ちゃんが君のアイス台無しにしちゃったね」
しゃがんで女の子に目線を合わせた。
「もう一度、お姉ちゃんがアイス買ってあげるね」
「でも、お母さんが知らない人から食べ物貰っちゃいけないって……」
「そっかあ。じゃあ、買い物1人で出来る?」
「――出来る!」
「チョコレートのアイスいくらだったの?」
「250円」
私は財布を開けて、小銭を確認する。おっ、500円玉がある。
「はい。今、500円しかないんだけど……」
硬貨を握る女の子の顔がパッと明るくなる。可愛い。
「お金いいの?」
「うん」
「でも、貰えないもん……」
「えーと、そうだね。でも、お母さんからは『知らない人から食べ物・・・貰っちゃいけない』って言われたんでしょ?」
そこで女の子は何かに気づいたようだった。
「これは食べ物じゃないよ。お姉ちゃんからのお小遣い」
屁理屈かしら。でも、このままだとこの子が可哀想だ。
「お小遣い……」
「そう、お小遣い。お釣りは返さなくていいよ。貯金してね」
女の子はこくん、とうなずいた。
「今度は他の人にぶつからないようにね」
「ありがとう、お姉ちゃん。アイス……つけてごめんなさい」
「大丈夫だよ、お姉ちゃんもぶつからないように気をつけるね」
バイバイ、と手を振って私はその女の子を見送った。
「さてと」
染みにならないうちに落とすか、と考えていたら
「どうぞ」
「わあっ!? ……あ、黒子君」
私の隣に黒子君がいた。
「い、いつから?」
「お金を渡していた辺りからです」
「そ、そう」
いい加減慣れたいな、このやりとり。
「どうしてここにいるの?」
「新刊チェックをしようと。あ、さん、これ使って下さい」
彼の鞄から白いタオルが差し出される。
「でも」
「スカートを汚すよりはマシだと思います。あそれから、これは予備で持ってきたタオルで未使用ですから、気にしないでください」
未使用品を使うのも気が引けるけど、……ここは素直に甘えよう。
「ありがとう」
私はタオルを受け取った。ベンチないかな、と辺りを見回す。
「――あ、黒子っちじゃないスか!」
「黄瀬君」
声がした方を向けば、さっきのモデルがいた。えーと、黄瀬涼太だ、確か。しかも「黒子っち」って呼んでる?
「ねえ、黒子君。知り合い?」
「はい。中学の時、部活で一緒にバスケをしていました」
ファンの相手を急いで終えてきたのだろうか? 少し息が切れてる。
「黒子っち、どうしてここに?」
「新刊が出てると思って寄ってみたんです。それより黄瀬君がどうしてここに?」
「俺は他校の練習試合だったんス。ついでに今日発売の写真集を探してたんスよ」
ほら、と彼の手には彼が表紙を飾る写真集。
「どこの本屋も売り切れでやっとここで手にいれたんスよー。おかげで笠松先輩が先に帰っちゃったんスけど。こういうの、スタッフさんに貰えるけど自分で買いたかったんで。黒子っちも分かるでしょ?」
「分かりません」
「即答っスね。あ、それよりその可愛い子誰っスか? まさか黒子っち、彼女!?」
「違います。さんは本仲間です。本をお薦めしたり、感想を言い合ったりしてます」
もうお決まりになってしまった説明だ。いつもはそれで良い。良いはずなのに、今日は違った。
「……」
嫌だなあと思った。本仲間って、そんな括りが。
黒子君の言葉が胸に突き刺さる。痛い。ちくちくする。
私はもっと、もっと――
「さん?」
「えっ! ……ああ、何でもないよ」
黒子君の言葉で我に返った。
押し込める。気付かない振りをする。そう、彼とは本仲間だ。それでいいじゃないか。
「いいなー。俺ともやらないっスか」
「黄瀬君、マンガは対象外ですよ」
「マンガ以外も読むんスよ!? 黒子っち勝手に決めないで欲しいっス!」
楽しそうだ。中学からの関係なら、そりゃあ、敵わない。ほんの数ヶ月の『本仲間』じゃ中学のチームメイトに敵うはずないって、
悲しくなるよ、何でかな。
「そういえば君、スカート大丈夫スか? 汚れ落とさないと!」
その指摘にスカートがアイスまみれになっていたのを思い出す。
「あっ、忘れてた!」
「あっちに公園あるっスよ。水飲み場あるから、そこで落とせばいいっス」
「ありがとうございます。えと、黄瀬さん」
「涼太でいいっスよ。君は特別に」
どうやら私は、彼に気に入られたようだった。さっき少し会話しただけなのに、何がそんなに良かったのか……疑問だ。
「じゃあ、黄瀬君で」
間を取って名字で呼ばせてもらおう。黒子君も名字で呼んでるし。
「初対面じゃ仕方ないっスよね……あ、公園はこっちっス」
黄瀬君が私の手をごく自然な動作で握る。少し驚いたけれど私は素直にそれを受け入れた。
と、急に後ろに引っ張られる。振り向けば、黒子君が私の手を掴んでいた。
黄瀬君に手を握られた時よりドキッとした。
「……黒子君?」
「あ……すみません」
黒子君の顔が――雰囲気が、ちょっといつもより違うような気がした。
でも、何が違うのかよく解らない。
「行きましょう」
私の手を離し黒子君が先頭に立つ。やっぱりちょっと何か違う。
もやっとした気持ちを抱えたまま公園に着き、私は黒子君と黄瀬君とスカートのアイスを落とす作業に没頭するのだった。