雑記

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とある男審神者の独白④
#男審神者の独白
「明日、月1の『集金』だぞ。分かってるよなあ、千畳敷」

 すれ違い様、そんな脅しをかけられた。律は小さな声で「はい」と返事をして、足早に教室へ戻る。トイレから戻ってきたのに、再び行きたくなってしまった。

(集金。集金、かあ……。小遣いで何とかなる額だけど、そのうち値上げとか言って高くなるんだろうな)

 初め1万円1枚だった「集金」は、今や6枚に膨れ上がっていた。学年が上がる頃にはどのくらいになっているだろうか? 親から貰う月の小遣いでは賄えない額になるとしたら? 親に頼めば追加でくれるだろうが、毎月そんなことをしたら怪しがられるに違いない。

 冷や汗が止まらない。

(親には知られたくない……。中学の二の舞はごめんだ)

 律の担任は面倒になることを避けているのか、いじめを黙認していた。
 いじめを知られたくない律にとっては、それはそれで都合がいいのだが。やはり、精神的にも肉体的にも参ってきていた。
 
(今、唯一の救いは、氷城さんくらいだ)

 教室に戻ってきた律は、深い溜め息を吐き出して席に着いた。昼休みのため、生徒はあまり残っていない。いるのは教室の隅っこで読書中の男子生徒と、机に突っ伏して寝ている女子生徒と、それから――

(氷城さん! ……が何でスクールカーストの上位にいそうなクラスメイトに囲まれているんだ?)

 律の斜め前の席にいる氷城は、クラスでも目立つ存在である男女数人のグループに囲まれ、何かを話している。一昔前の言い方をすれば「陽キャ」であろうか。

 律は氷城の背中しか見えないので、今彼女がどんな顔をして陽キャグループと会話をしているのか窺い知ることは出来ない。声の調子からして、いつも通りの淡々とした調子で対応しているようだ。
 律は誰も見ていないはずなのに「聞いてませんよ」といった体を装って、読書用の端末を取り出した。一人ぼっちにとって、読書は最高の暇つぶし。いじめられっ子の律にはマストアイテムなのだった。

 陽キャグループの声は大きかったので、聞き耳を立てるほどでもなかった。

「てかさ、氷城さんも大変じゃない? あの豚に付きまとわれてさ」
「……? 豚とは」
「いやいやいや! とぼけなくたっていいよ! あいつだよあいつ! このクラスで豚みたいな奴ってあいつしかいないじゃん!」
「千畳敷だよ、千畳敷!」

 律の心臓が大きく跳ねた。途端、また冷や汗が出てくる。

 ――どうやら、話題は律についてのようだ。

「学級委員長だもんねえ、氷城さん」
「なー。大変だよなあ、先生に仲良くしてくれって頼まれたんでしょ?」

 ドキンドキン。

 律は呼吸が荒くなっていくのを感じていた。

 彼らは律が教室に戻ってきているのに気付いていないようだった。まあ、仮に気付いていたとしてもこの話を止めはしなかっただろう。

 陽キャたちは無邪気に残酷に、律の心を削っていく。
 鉋をかけているように、削っていく。
 削られた心の残骸は、きっと誰も顧みない。

(そうなのか。やっぱり、誰かに頼まれて僕と接してくれてたのか?)

 自分が一方的に話しかけている自覚はあった。
 それでも氷城は差別せずに普通にしていてくれたから、嬉しかったのだ。

「ね、実際どうなの?」
「メーワクしてんじゃない?」
「ウチら、助けてあげるよ」
「そーそー。あのデブ懲らしめよっか」

 笑い声が酷く不快だ。
 これが地獄でないのならば、何が地獄だというのだろう。

 氷城が「迷惑だ」と言ってしまえば、いよいよ律は立ち直れない。

(僕は……。僕は、普通を望んじゃいけないんだ……)

 手が震える。
 涙が出そうになる。

 早くここを出なければ。

「――何か勘違いなされているのでは」

 それは、氷城の声だった。

 今まで沈黙を保っていた彼女の声だった。

 冬の厳しい寒さのように冷たい。
少女特有のソプラノが耳朶を打つ。

「私は、先生に頼まれたわけではないですし、ましてや迷惑だと思ったこともありません」

 淡々と、淡々と。
 事務的な口調を崩さない。

「どうでもいいです・・・・・・・・」

 教室は水を打ったように静まり返っていた。





「……は?」

 それは誰が呟いたのか。

 陽キャたちは皆、呆気にとられていた。

 それもそうだろう。「実はそうなんだよ」「迷惑しているんだ」。そんな言葉が出てくるに違いないと思っていたのだから。
 まさか、「どうでもいい」なんて返事がくるとは思ってもみなかったのだ。

「どうでもいいです。千畳敷くんが私に話しかけてこうようがなかろうが。どうでもいいです。彼は、ただのクラスメイトです」

 感情が読み取れない声音で、氷城は答える。

「ただ、私は彼と話すのは嫌ではないので。嫌になれば遠ざけます。あなたたちに何かしてもらわなくても結構です」

 そもそも、

「そもそも、何故『千畳敷くんと話すのは嫌だ』という前提でお話をされているのでしょうか。理解に苦しむのですが」

 ここで、氷城がこてんと首を傾げた。

「いや、だって、」
「あいつ、いじめられてるじゃん」

 陽キャたちが口々にそう言うものの、

「だから何だと言うのです?」

 理解に苦しむ。言外にそんな意味を含んでいる。

「それこそどうでもいい・・・・・・です。私は彼がいじめられていようと、そうでなかろうと、態度を崩すことはありません」

 だって、そこに興味はないのだから。

「さすがに根っからの悪人――そうですね。何か犯罪に手を染めているのであれば、私は千畳敷くんと関わり合いになりませんが、彼はごく普通の男の子ですよ。少なくとも、いじめられていい人ではないと思います」

 ここ数週間話をしているが、何も変わったところはない。

「……というより、彼、いじめられているんですか。初耳です」

(え……、知らなかったの?)

 律をはじめ、教室にいた全員が抱いた感想であった。畳む


とある男審神者の独白③
#男審神者の独白
『お帰りなさいませ、律様』

 管理AIが律の帰宅を出迎える。「うん」と素っ気ない返事をして玄関からリビングへ向かう。

「テレビ点けて。あと、晩ご飯」
『かしこまりました。まずは手洗いうがいをお願い致します』
「あー、はいはい」

 両親はなかなか家に帰ってこないので、自然と話し相手はこの管理AIだけになる。学校では友人がいないので、喋る機会もあまりない。

(でも、今日は話せた)

 学校は無理に友人を作る場ではないと思う。

 そんなことを言ってのけた、ちょっと変わった少女ではあるが、会話らしい会話を久しぶりにしたように思う。

 あの後、氷城はこう続けた。

 私は友人を作ろうと思いません。学級委員長になってますからね、クラスメイトとの交流は大事だとは思いますが。

 学校というのは、家庭を除いて、自分以外の人間と交流出来る社会の場です。
 何も、社会というのは友人を作る場ではありません。仕事に限って言えば、同僚、上司、部下、取引先、友人の枠に収まりきらないも方々と知り合います。

 ですから、例えば、ですよ。あなたが独りを望むのなら、友人など無理に作らなくていいと思います。嫌いな人と無理に仲良くなってどうするのですか。仕事をする上で付き合うのなら仕方ないですが、ここは学校。そして、私たちは子ども。高校に行けばまた交友関係など変わってしまいます。どうせ3年間で交友がなくなる友人など、無理に作らなくてよろしいかと。

 ――途中からは面倒くさくなって、話半分に聞いていたが、まあ、こんなことを言っていたと思う。

 本当に同級生なのだろうか。そんな物言いだった。

(もしかして中二病ってやつじゃないのか。他と違う私、格好いい、みたいな……)

 とはいえ、だ。少し気持ちが楽になったような気もする。
 自分はいじめられっ子だ。友人はいない。

(昼休みを一緒に過ごせるような、体育の時間に一緒に組んでくれるような。そんな、友人が欲しいんだ)

 でも、

(……中学じゃ、もう無理だ。だけどさ。話し相手にはなってくれるような、友達未満知り合い以上くらいの人なら、僕にも出来るんじゃないだろうか……)

 あの学級委員長の氷城ならば、

(あの子なら、そんな人になってくれるかもしれない)

『お食事が出来ました』
「野菜いらない」
『こちらのサラダは1日に必要な野菜量の3分の2を摂取することが出来、』
「いらない」
『こちらのブロッコリーの産地は――』

 管理AIのような少女ではあるが、会話のキャッチボールは出来る。

 彼女は、律を蔑んだりはしなかった。

 クラスメイトとして、ごく普通に接してくれた。

(ちょっと話すくらいは、いいよな……?)

 晩ご飯を食べる律の胸には、ほんの少し明るい光が灯っていた。


***


「あのさ、」

 次の日の朝。律は早速氷城に話し掛けた。

「何でしょうか」

 読んでいた本を閉じて、彼女は律の目をしっかりと見る。所作は機械じみているのに、「あなたの話をちゃんと聞きますよ」という姿勢を取ってくれるので、律は少し泣きそうになった。

 怪訝な顔を氷城がするので、律は慌てて言葉を続ける。自ら話し掛けたのだ、ネタくらいある。

「あの、えーと、さ。昨日の話。レクリエーションの班決めなんだけどさ」
「はい」
「僕、声が小さいから、氷城さんが司会やってくれないかなって……」
「ええ、構いませんが」
「その代わり、書くのは任せてよ。縦にデカいからさ、高い所も余裕なんだ。あ、横にもデカいけど、……はは、は……」

 律は頭を掻いた。自虐ネタで笑いをとろうとしたが、

(そういえば、女子とまともに話したの初めてだ)

 思い出した途端、かぁーーっと頬が熱くなった。やっべ、滑った、恥ずかしい! 

 氷城は長い睫毛に縁取られた目をぱちくりさせていたが、

「確かに千畳敷くんは身体が大きいですよね。それだけ体格が良ければ、そうですね……スポーツをやったら良いと思います。有利になる競技は多いから」

 ごく普通に、律に接してくれた。

 それがどんなに救われたことか。
 きっと、この喜びは誰とも分かち合えない。
 後にも先にも、これが彼女を好きになったきっかけなのだろうと、律は――冷徹は、そう思うのだった。


 律はそれから氷城に積極的に話し掛けた。
 さすがに昼休みを一緒に過ごそうとは思わなかったが、体育の授業ではペアになれたし、宿題を教えてもらえたし、何より彼女といることで自分がいじめられっ子であることを少しの間だけ忘れられた。

 彼女の話は面白かった。

「円周率は面白いですよ。円周と円の直径には一定の関係があるのは知っていますか? 円周率とはその関係を表したものでして――」

「今は天体観測が好きです。星座を覚えて観察するのは楽しいですよ。私たちが見ている星座の光は、何100年も前のものだそうです。例えば、オリオン座ならば千畳敷くんも知ってますよね。あの星座にある赤い星『ベテルギウス』は地球から500光年も離れているんですよ――」

 主に数学や理科の分野の話が多かったが、授業よりも楽しかった。
 教えるのが好きなら教師になったらいいよ、と律は氷城を褒めた。だが、彼女は「将来は研究職がいいです。あ、でも研究出来るのなら大学の教授になるのもありなのかもしれません」と微笑んでいた。

(あ、この子笑えるんだ)

 ずっとアンドロイドみたいだとか、一昔前のロボットみたいだとか思っていたせいだろう。完璧な不意打ちだった。

(なんか、可愛い)

 がはは、と大口を開けて笑うわけでもない。くすくす、と口元を隠して笑うわけでもない。

 ただ、たおやかに。

 きちんと見ていなければ見過ごしてしまいそうな、そんな、些細な笑いではあったけれど、

(なんだ、そうだよな。人間だしな)

 律の心の奥が震えた。

(氷城さんの笑った顔、好きだな)

 誰にも見せたくないとは思ったものの、いじめられっ子の自分がそんな思いを抱くのは分不応相であるような気がした。畳む


とある男審神者の独白②

夢主の苗字が出てます。
あと、200年後の話はあくまで私の想像なので、完全フィクションだと割り切ってもらえると大変助かります。
#男審神者の独白

 そういえば、と律は思い出す。いじめっ子たちに推薦されてクラス委員長になったことを。朝のホームルームで、担任教師から放課後残るように頼まれたことを。

「その様子では、覚えていないようですね」

 顔に出ていたらしい。律は「ごめん」と謝罪した。女子生徒はさして気にしてないとばかりに首を振り、仮想ディスプレイを律に見せる。

「先生から指示がありました。掲示物を貼ってほしいのと、月末にあるレクリエーションの班決めだそうです」

 仮想ディスプレイには、女子生徒が話したような内容が、更に細かく連ねられていた。

(委員長が天職って感じだ)

 きびきびと要点を伝える彼女に、律は少し感心してしまった。適材適所の言葉がぴったりだ。

 クラス委員長は男女1人ずつである。男子はいじめっ子からの推薦で、律。女子は、目の前の女子生徒が立候補して決まった。押し付けられて引き受けた律と違い、彼女はやる気を持ってクラス委員長になったのだろう。

「あなたが忘れたのではないかとを想定し、ひとりでやろうかと考えていましたが……。ところで、千畳敷くん」
「え、あ、うん」

 無機質な声のわりに絹のように滑らかな喋り方だった。そのせいで、返事が遅れた。

「制服、どうされたんですか。汚れています。転んだのですか」
「! 転んだ、わけ、じゃ……ない……」

(そうだ、着替え!)

 思いがけない先客に驚いていたせいで、自分の格好のことはすっかり忘れていた。新しい制服に着替えて汚れを落とさなければ。

「んん……。では、転んだわけでもないのに汚れているのは何故ですか?」

 一刻も早く帰りたいのに、目の前の女子生徒は追及をやめない。嘘でもいいから「転んだ」と話を合わせておけば良かった、と後悔しても遅い。しどろもどろになりつつ上手い理由を考えてみるが、一向に思いつかない。
 あー、とか、うー、とか、赤ん坊の喃語のようなものをあげる律から目を逸らし、女子生徒は仮想ディスプレイを操作する。

「まあ、今重要なのはそれではありません。千畳敷くんが手伝ってくれるのか、それとも帰宅するのか、私に教えて下さいね。それによって予定が変わるので」
「えっ」

 それ以上は訊かないんだ!? ますます律は驚いた。ならば初めから訊かなければいいものを……。若干イラっとしつつも律は自分のロッカーへ行き、着替えを取り出し(替えの制服は無事だった)、その場で制服を脱ぎ始める。

(すっかり忘れてたよ、クラス委員長のこと。本当はサボりたいけど、サボったら何か言われそうだな)

 もしもあの女子生徒が、友達に「千畳敷くんは用事を忘れたサイテーな奴」だと話したら? 律の評価は下がり、いじめに拍車がかかるかもしれない。これ以上いじめられてなるものか。身体の暴力はもちろん辛いが、女子からの無視も精神に悪いのである。女子が内緒話をしている姿は少々トラウマだ。小学校時代は、しょっちゅう女子が律を見てはニヤニヤ笑いながら耳打ちしていたのだ。自分の悪口を言っているのではなかろうか、と疑心に駆られる。

 手伝うことを決意し、新たな制服に着替えた律は、女子生徒の目の前に立った。
 ――さて、名前は何だっただろうか。同じクラス委員長なので、さすがに苗字くらいは覚えていた。

「ひし、えーと……氷城ひしろさん?」
「はい」

 自信はなかったが、名前は合っていたようだ。仮想ディスプレイから顔を上げた女子生徒、もとい氷城は、やはり表情ひとつ変えずに律に注目した。

「僕もやるよ。クラス委員長、だし」
「ありがとうございます。では、早速始めましょうか。まずは掲示物です」
「あ、うん」

 やっぱり管理AIっぽいな、と律は思う。最近のアンドロイドだって、もう少し感情を露わにするというのに。この間、授業の一環で鑑賞した動画に出てくる、旧式のロボットのようだ。いかにも“機械”といったぎこちない動きをしており、音声案内にもおおよそ感情なんてものは感じられなかった。

(下手したら接客用アンドロイドの方がまだ感情豊かじゃないか?)

 そのくらい彼女は――何というか“冷たい”印象を受けた。


「ありがとうございます。2人だとすぐに終わりますね」
「そう?」

 律は内心照れつつ平然を装った。悲しいかな、褒められる機会が滅多にないのだ。

 クラスの掲示板にポスターを貼って、ひとつ目の仕事は終わった。仮想ディスプレイが普及してるとはいえ、未だに大事な書類は紙に印刷して保管されているのだった。よって、学校の掲示板もそのような“アナログ”仕様になっていた。
 ごく僅かになったとはいえ、未だに紙の本が廃れないようなものだろう、きっと。世間の声曰くアナログに味があるとかなんとか。レトロゲーム好きなマニアの特集も見かけたことがある。いついかなる時代でも古き文化や慣習に趣を感じる人間はいるのだ。

 掲示物を貼り終えた二人は机を寄せ合い、レクリエーションの班決めに取り掛かった。

「月末のレクリエーションって何やるんだっけ?」

 渡された資料を眺めながら、氷城は説明を始めた。

「確か、市内のキャンプ場へ行って、班で自然と触れ合うレクリエーションをして、カレーを作って食べて解散……みたいな流れですね」
「ふうん……」

(つまらなさそう)

 家でお菓子をつまみながらVRで世界の絶景百選でも眺めていた方がマシだ。

「目的は、普段話をしないクラスメイトたちと交流を持とう、だそうです」
「そう、なんだ。じゃあ、仲良い人同士で班決めてー、とか出来ないんだ?」
「その通りです」
「うわあ……。めんどい」

 本音を漏らす律。しかし氷城は眉ひとつすら動かさなかった。

「……交流を持ったところで、何になるというのでしょうね」
「え?」
「学校は友人を無理に作るところじゃ、ないと思うんです」

(何だ、いきなり)

 やっぱりこの女子、アンドロイドではないのだろうか。

(心まで冷たい的な)

 未知との遭遇だった。少なくとも、この時の律にとっては。畳む


とある男審神者の独白①

『文系打刀と理系審神者』の番外編。前半まったく刀剣男士が出てこないぞ…!!

冷徹視点で描く、冷徹と夢主の学生時代の話です。名前変換機能がないので、冷徹も夢主も名前固定です。ご了承下さい。


最早夢小説とは言い難い代物です。冷徹のバックグラウンドを書いているだけのものなので、興味のない方はそっとブラウザバックしてください。追記から読めます
#男審神者の独白
 どうして自分は、いじめられているのだろう。殴られ蹴られ金を巻き上げられ……。いじめられるために登校しているわけではないのに。
 まあ、答えは簡単だ。自分が豚のように太っていて、鈍くて、気弱だからだ。

 冷たい地面の感触が酷く不快だ。痛む身体に鞭を打ち、律は立ち上がった。校舎裏で暴力行為なんて、なんてベタなのだろう? 三ヶ月経って徐々に馴染んできた学生服の汚れを払い、大きな溜め息をつく。

(クソっ。あいつらめ、集団で寄ってきやがって)

 心の中ではいくらでも罵詈雑言を吐けるのに、いざ、いじめっ子を前にすると言葉は喉に詰まって、蚊の鳴くような声で「やめろよ」としか言えない。ああなんとも腹ただしい。
 鉄錆に似たような味が口の中に広がっていた。唾と共に吐き出せば、赤いそれが地面に落ちる。殴られて出た血ではない。悔しさから唇を噛んでいたせいである。

「もう嫌だ……」

 いじめられっ子の呟きを聞いた者はいない。


***


 中学1年生の秋。千畳敷律せんじょうしきりつは、約13年の人生をふり返って絶望していた。
 家庭環境は、まあ悪くない。父も母も仲が良い。俗に言う“成金”だが金には困っておらず、律が欲しいものは何でも買ってくれた。世間一般では裕福な家庭に入るだろう。
 問題は学校である。
 彼は小学校高学年になってから、ほぼ毎日いじめられていた。彼はクラスメイトと違うところが多すぎたのだ。

 まず、服装。律の服は母の友人が立ち上げたブランドものだった。生地から作りまでこだわりにこだわり抜いた一品であり、素人が見ても高級品だと理解する出来であった。肌着から靴下までそのブランドで統一されていれば、誰の目にだって留まるだろう。

 次に、体型。彼の身体はとても大きかった。肥満だったのだ。母親の家系は肥満者が多く、律にもしっかり現れていたのである。
 彼の生きる時代では科学は飛躍的な進歩を遂げた。栄養管理といったものはAIが行い、運動不足になってきた人類の健康に貢献している。……のだが、律の体型は肥満のままであった。AIのアドバイスを無視し、食欲の赴くままに食べていたせいだろう。両親もそれを咎めはしたかった。
 だから律の体型は、標準体重のクラスメイトに比べたらとてつもなく目立つのだ。いつしか彼らは律を「デブ」と蔑称した。

 そして最後は、律の性格にあった。彼は金持ち特有の――、なんとも鼻持ちならない奴だった。
律は自分がクラスの中心になれないことに気付いていた。誰かの気を引きたくて、スゲー奴だと思われたくて、発売されて間もないゲームソフトを手に入れてクラスメイトに自慢したり、入手困難と言われる男児向けのおもちゃを見せびらかしたりして、注目を浴びていたのだった。
 注目を浴びるのは悪い気がしなかった。羨ましがられるのは気持ちが良かった。だが、「まあ金もない君たちのご家庭じゃあ無理だよ」「コネがあるんだ。羨ましいだろう」なんて威張っていたのがいけなかった。律が小学五年生になる頃には、このやり方で注目を浴びるとは出来なくなった。クラスメイトのほとんどが、律を“嫌な奴”だと認識していた。

 金持ちのボンボンで、嫌な奴で、デブ。
 運動はてんでダメ。勉強は出来るが、出来ない人をバカにする。

 そのうち律は男子からはいじめられ、女子から無視されるようになっていった。

 中学生になったらその状況も変わるだろう。律は楽観視していたが、その淡い希望は入学式で簡単に打ち砕かれた。
 小学校のクラスメイトたちが律と同じ中学へ進学し、彼がどんなに“嫌な奴”なのか、新しい友人たちに吹聴したのである。お陰で律は小学校時代と同じようにクラスメイトから避けられるようになってしまった。
 おまけに初対面の先輩から呼び出しを喰らい、「金持ちなんだろ。俺らに恵んでくれよ」と金を巻き上げられるようになった。暴力もしょっちゅうだった。小学生の時は池に突き落とされるのが関の山だったが、中学生となると“プロレスごっこ”とは名ばかりの暴力行為が律に襲いかかった。

(何なんだよ。僕は何も、していないのに)

 下校を促すチャイムが鳴った。今までのことを思い出しながら、亀のような歩みで律は教室へ向かう。
 そう、何もしていない。中学では何もしていない。

(あれから僕も気を付けたさ。出る杭は打たれる。自慢ばかりじゃ嫌われる。だから中学では同じ間違いをしないようにと……。なのに、何でだよ。悪い奴は、ムカつく奴は、生まれてから死ぬまでずっと、そのままの性格だとでも言うのかよ)

 律だって成長したのだ。中学では独りになるのは嫌だった。友人が欲しかった。

(なのに、あんまりだ)

 両親に泣きつくことも考えたが、律はそうしなかった。小学生の時、一度だけ両親にいじめを訴えたことがあった。しかしそれは、更なるいじめを助長しただけだ。担任教師からの注意があっても、3日経てば再びいじめが始まったのだった。
 きっと今回も同じ結果になるだけだ。そう思って、律は両親にいじめを悟られないよう、細心の注意を払っている。制服は密かに三着用意し、汚れてもいいように着回した。洗濯で落ちない汚れはクリーニングに出している。両親から貰う小遣いは、学生のそれを超えているのだ。

 今日もクリーニングに出す汚れだな、と律は鉛のように重い足を動かして、教室に入った。まずは着替えなければ。

「千畳敷くん?」

 まるでロボットのように無機質な呼びかけだった。健康管理AIの呼びかけにも似ていたが、いや、そもそもあのAIは律を「律様」と呼ぶように設定している。

(まるで友人に呼ばれたみたいだ)

「千畳敷くん。聞こえていますか」

 いや、みたい、ではなかった。

 窓際の席の方、仮想ディスプレイを立ち上げ、律をじっと見つめる女子生徒がいる。

「あ……、僕?」

 たっぷり一分かけて返事をしたのは仕方がない。まさか、クラスメイトから話しかけられるとは思わなかったのだから。

「ここ、3組だよね?」

 少女は訝しげにうなずいた。

「……? ええ、ここは1年3組の教室ですよ、千畳敷くん。私はあなたのクラスメイトであり、あなたと同じクラス委員長です。今日の放課後はやることがあるので残るようにと言われましたが……。覚えてないんですか」
畳む